旧ソ連の独裁者スターリンが1930年代に主導した大粛清で、現在のロシアに接するジョージア(グルジア)で処刑された金山八五郎という名の長崎市出身の庭師がいた。旧ソ連国家保安委員会(KGB)や前身の内務人民委員部(NKVD)の関連文書を調べているエストニアのシンクタンク所属の日本人研究者は、「時代の荒波に巻き込まれ、悲劇的な最期を遂げた長崎の人がいたことを知ってほしい」と語り、手掛かりを探している。
情報提供を呼びかけているのはエストニア国際防衛安全保障センター研究員の保坂三四郎さん(44)。今年7月にジョージア内務省が所管する旧KGBの文書庫を訪れた際、ロシア革命(1917年)後、大粛清の嵐が吹き荒れていた37年12月に死刑が執行された61人の中に日本人がいたことを偶然確認。ロシア語で書かれた旧グルジアNKVDの判決文と死刑執行調書の写しを入手した。
37年11月29日付の判決文には「1883年長崎市生まれのカナヤマ・ハツガラ・シロキコヴィチ、日本人、ソ連国籍、マハラゼ市在住、非党員、初等教育修了、逮捕前は庭師」を「諸外国のある国を利する諜報(ちょうほう)の疑い」で「銃殺刑に処す」などと記載があった。大粛清で裁判は開かれず、NKVD支部長、党書記、検察官の3人で構成する「トロイカ」で判決を下していた。1937年12月4日付の死刑執行調書には、首都トビリシのNKVD拘置所で61人を銃殺刑に処すことに所長がサインしていた。
保坂さんはその後、日本人庭師について交流サイト(SNS)で情報提供を呼びかけたところ、一つの有力な情報が寄せられた。「知られざる魅惑の国グルジア」(加固寛子著、2012年刊行)に言及があるという。同書を確認すると、劇作家で社会運動家の秋田雨雀が1927年に黒海沿岸の港湾都市バトゥミの植物園を訪れ、「長崎出身の金山八五郎という労働者が働いている」と同年11月28日の日記に記していた。また同書には「金山が日本の盆栽をたくさん作っていた」との関係者の伝え聞きも紹介されている。
保坂さんによると、20年代は旧ソ連が資本主義各国から投資を呼び込もうとしていた時期。秋田もロシア革命10周年の祝典でソ連を訪れた。バトゥミには革命前の帝政ロシア時代、植物園が開園し、日本庭園も整備されていた。
保坂さんは「金山さんは庭師の腕を買われ、大正末期か昭和初期にソ連へ渡ったのではないか。無念な最期だっただろう。同じ日本人として多くの人に伝えることが供養になると思う。何か知っている人がいれば」と話している。
保坂さんは12月上旬に長崎市を訪れ、郷土資料を調査した。年明けに再びジョージアを訪れ、情報提供を呼びかける予定。情報提供はメールで保坂さん(yokokumano2018@gmail.com)へ。
スターリンの大粛清で処刑 「長崎出身の金山八五郎」情報提供を エストニア在住の研究者、保坂さん
2024/01/04 [11:00] 公開