長崎県長崎学アドバイザーの本馬貞夫さんによると、江戸時代の長崎で、初盆を迎えた故人を悼み、灯籠を川や海に流したり、中国人が居住していた唐人屋敷の「彩舟(さいしゅう)流し」の風習の影響を受けたりとしたなどの諸説あるが、正確な始まりは分からない。彩舟流しは、複数の故人を弔うため大きな船に火を付け、梅香崎付近から海に流していた。江戸中期、船首に円すい状のみよしと中央に帆、ちょうちんを下げたわらの船がみられるようになり、幕末から明治に入ると、船体や帆が大型化した。中国で魔よけの意味の爆竹を鳴らし、鉦(かね)の音に合わせた「ドーイドイ」というかけ声は「南無阿弥陀仏(ナマイドー)」に由来するといわれる。
精霊流しとは
長崎新聞 2023/08/15 [10:15] 公開