長崎市長だった伊藤一長氏=当時(61)=が市長選期間中に射殺された事件から17日で16年を迎える。昨年、安倍晋三元首相が演説中に銃撃され死亡。15日には岸田文雄首相の応援演説会場に爆発物が投げ込まれる事件が発生し、政治家を狙った理不尽な凶行が繰り返されている。伊藤市政をそばで支えた同市の元収入役、横尾英彦さん(85)=佐世保市早岐1丁目=は「なぜこんな暴力をするのか。残念で仕方ない」と憤る。
横尾さんは1962年、県に入庁。73年から2年間、後に知事となる高田勇氏(当時は副知事など)の秘書、75年以降は当時の久保勘一知事の秘書を7年にわたり務めた。
83年、県議に初当選した伊藤氏と知り合った。次第に懇意になり、伊藤氏は「自分は絶対長崎市長になる。その時は(横尾さんは)市に来てくれ」と話していたという。
その言葉通り95年、市長に当選。誘いを受けるか悩んだ横尾さんに「せっかくだから断ったらいかんよ」と言って背中を押したのは、かつて仕えた高田知事(当時)だった。横尾さんは市収入役に就任。県市のパイプ役として伊藤氏を支えることになった。
伊藤氏と市政を運営した8年間は「やりがいがあって楽しかった」。平和都市をうたう伊藤市政の外交面を担い、市長の名代として世界中を飛び回った。市長としての伊藤氏は「先見の明があり、長崎をいかに外に売り込むかを一生懸命に考えていた」。周囲への心配りも絶やさなかった。「優しく、小さいところまでよく気が付く人だった。いつも気を使ってもらった」と振り返る。
2007年4月17日。既に退任していた横尾さんに友人から電話があった。「伊藤さんが撃たれた」。まさか-。考える間もなく、伊藤氏が搬送された長崎大病院へ急いだ。病室の外で状況報告を受け、病院で夜通し回復を祈った。だが、再会した伊藤氏は既に冷たくなっていた。なきがらを前に「残念です」と声をかけた。告別式ではひつぎを運ぶ役だった。無念さが込み上げた。
昨年7月、安倍元首相の銃撃事件に際し、あの日のことが頭をよぎった。「なんてばかなことを。何があっても(力に訴えず)まず話をすべきだ」と怒りが湧いた。同時に、警察とも情報共有しながら、政治や行政に不満を持つ人の犯行を未然に防ぐ取り組みも必要だと考える。「不満を持つ人とは積極的に話を聞く機会を持つべきだ。相手の気持ちを理解し、和らげ、暴発を起こさせないことが大事だ」
4年に1度の統一地方選を迎え、長崎市長選も実施される。選挙とは「市政県政に対する不満があれば主張できる場」。理不尽な暴力ではなく、正当な権利を行使できる機会だ。横尾さんは有権者の政治離れにも気をもむ。「立派な政治家は有権者が育てるもの」。3人の首長をそばで見てきたからこそ、強く思う。
今でも年に5回ほど、伊藤氏の墓を訪ねる。「私にとっては恩人だからね」。もし事件がなければ今ごろ国政に進出しているだろうか。知事に挑戦しただろうか。それとも-。花とビールを墓前に供え、奪われた未来に思いを巡らせている。
長崎市長銃撃から16年 繰り返される凶行に憤り 元市幹部「未然防止の取り組み必要」
2023/04/17 [10:03] 公開