身長188センチ、体重115キロ。高校時代、長崎南山高の本山佳龍はディフェンスをはね飛ばして前に出続けた。その突破力や将来性が評価され、U-17、U-19、高校代表と常に世代別の日本代表入り。さらには今月、飛び級で将来の日本代表を育成する「U-23ジャパン・タレント・スコッド・プログラム」のメンバー(31人)に高校生で唯一選ばれた。「U-23は正直びびった。メンバー表を見たら、すごい選手がいっぱいいて…。いいのかなと思った」
園児のころから「みんなよりも頭一つ大きかった。それからは毎年10キロぐらい増えていった」。そんな恵まれた体格が自然と導いたのか。川棚小2年から大村スクールでラグビーを始め、中学までは並行して相撲にも取り組んだ。
結果が出たのは相撲が先だった。小学5年時に九州大会で優勝、長崎南山中2、3年時は全国中学大会に出場。「ラグビー界の宝」は当然のように角界からも注目され、県外の強豪校から勧誘が来るほどだった。「でも、高校からはラグビー一本と決めていた。相撲もそのためにやっていた」
高校進学後はスクラム最前線のプロップとして1年の春からレギュラー入り。2年時の冬は全国高校大会(花園)に出場した。U-19日本代表の海外遠征をはじめ、3年間で数え切れないほどの試合を経験した。
その中で最も印象に残っているのは、代表戦でも花園でもない。「1年時の県新人大会決勝で長崎北陽台に勝った試合。北陽台に勝つために南山に入学したから、結構泣いた。あれがあったから今がある」。ライバルを倒したことが大きな自信となり、その後の成長に拍車をかけた。
卒業後はリーグワン1部の静岡ブルーレヴズに入団。プロ選手となり、同時に静岡産業大に通って教員免許取得を目指していく。多数の強豪大学からも誘われたが、いきなり国内最高峰の舞台挑戦を選んだ。「大学でけがしてリーグワンに行けなくなるかもしれない。それより目の前にあるチャンスを逃す方がもったいない。ラグビー人生は長くないので、悔いがないようにと決心した」
世代屈指のボールキャリアーは今春、目標の「日本代表100キャップ」に向けて思い切った一歩を踏み出す。
【略歴】もとやま・けいたつ 東彼川棚町出身。川棚小2年からラグビーを始め、長崎南山中3年時に県選抜で全国ジュニア大会準優勝に貢献。長崎南山高進学後はU-23代表候補に飛び級で選ばれた。3月に高校日本代表としてイングランドに遠征する。料理が得意で「自分で弁当を準備したりする」。好きな言葉は「ひたむき」。身長188センチ、体重115キロ。
園児のころから「みんなよりも頭一つ大きかった。それからは毎年10キロぐらい増えていった」。そんな恵まれた体格が自然と導いたのか。川棚小2年から大村スクールでラグビーを始め、中学までは並行して相撲にも取り組んだ。
結果が出たのは相撲が先だった。小学5年時に九州大会で優勝、長崎南山中2、3年時は全国中学大会に出場。「ラグビー界の宝」は当然のように角界からも注目され、県外の強豪校から勧誘が来るほどだった。「でも、高校からはラグビー一本と決めていた。相撲もそのためにやっていた」
高校進学後はスクラム最前線のプロップとして1年の春からレギュラー入り。2年時の冬は全国高校大会(花園)に出場した。U-19日本代表の海外遠征をはじめ、3年間で数え切れないほどの試合を経験した。
その中で最も印象に残っているのは、代表戦でも花園でもない。「1年時の県新人大会決勝で長崎北陽台に勝った試合。北陽台に勝つために南山に入学したから、結構泣いた。あれがあったから今がある」。ライバルを倒したことが大きな自信となり、その後の成長に拍車をかけた。
卒業後はリーグワン1部の静岡ブルーレヴズに入団。プロ選手となり、同時に静岡産業大に通って教員免許取得を目指していく。多数の強豪大学からも誘われたが、いきなり国内最高峰の舞台挑戦を選んだ。「大学でけがしてリーグワンに行けなくなるかもしれない。それより目の前にあるチャンスを逃す方がもったいない。ラグビー人生は長くないので、悔いがないようにと決心した」
世代屈指のボールキャリアーは今春、目標の「日本代表100キャップ」に向けて思い切った一歩を踏み出す。
【略歴】もとやま・けいたつ 東彼川棚町出身。川棚小2年からラグビーを始め、長崎南山中3年時に県選抜で全国ジュニア大会準優勝に貢献。長崎南山高進学後はU-23代表候補に飛び級で選ばれた。3月に高校日本代表としてイングランドに遠征する。料理が得意で「自分で弁当を準備したりする」。好きな言葉は「ひたむき」。身長188センチ、体重115キロ。