被爆者の体験を語り継ぐ長崎市の家族・交流証言者事業として、広島市の自営業、岸田英里さん(72)が14日、長崎市平野町の長崎原爆資料館で、長崎の被爆者、池田道明さん(85)の体験を講話した。
池田さんは6歳の時、爆心地から約700メートルの長崎医科大付属医院(現・長崎大学病院)で被爆。町が火の海で、逃げる人々の頭や顔から出血していたことなど、目にした光景を岸田さんが説明。誰も他人を助ける余裕がなく「戦争が人の心を変えた」と池田さんの感情を代弁した。
医院の屋上で一緒に遊んでいた同じ年齢の「しげちゃん」を捜していることも語った。原爆のさく裂直前「中に入ろう」と言ってくれた“命の恩人”だが、戦後会えていない。そうした池田さんの体験に加え、岸田さん自身の思いが重なり、涙ながらに講話した。
2018年から広島の被爆体験伝承者としても活動する岸田さんは、父(享年72)が長崎で被爆。父が当時を語らず、聞きたくても聞けなかったという。長崎でも被爆の実相を語り継ごうと昨年10月、池田さんから証言を聞き、この日初めて披露した。岸田さんは「(平和の尊さが)伝わるとうれしい。心に残ったことを(他の人に)話し、伝承してほしい」と語った。
14日時点の家族証言者は15人、交流証言者は41人。
池田さんは6歳の時、爆心地から約700メートルの長崎医科大付属医院(現・長崎大学病院)で被爆。町が火の海で、逃げる人々の頭や顔から出血していたことなど、目にした光景を岸田さんが説明。誰も他人を助ける余裕がなく「戦争が人の心を変えた」と池田さんの感情を代弁した。
医院の屋上で一緒に遊んでいた同じ年齢の「しげちゃん」を捜していることも語った。原爆のさく裂直前「中に入ろう」と言ってくれた“命の恩人”だが、戦後会えていない。そうした池田さんの体験に加え、岸田さん自身の思いが重なり、涙ながらに講話した。
2018年から広島の被爆体験伝承者としても活動する岸田さんは、父(享年72)が長崎で被爆。父が当時を語らず、聞きたくても聞けなかったという。長崎でも被爆の実相を語り継ごうと昨年10月、池田さんから証言を聞き、この日初めて披露した。岸田さんは「(平和の尊さが)伝わるとうれしい。心に残ったことを(他の人に)話し、伝承してほしい」と語った。
14日時点の家族証言者は15人、交流証言者は41人。