2022年に出土の構造物 長崎市が被爆遺構と認めず撤去 捕虜収容所跡地

長崎新聞 2024/08/23 [11:30] 公開

長崎市幸町の長崎スタジアムシティ建設現場で、福岡俘虜収容所第14分所の跡地周辺から2022年に出土していたれんが積みの構造物(同市提供)

長崎市幸町の長崎スタジアムシティ建設現場で、福岡俘虜収容所第14分所の跡地周辺から2022年に出土していたれんが積みの構造物(同市提供)

  • 長崎市幸町の長崎スタジアムシティ建設現場で、福岡俘虜収容所第14分所の跡地周辺から2022年に出土していたれんが積みの構造物(同市提供)
  • 被爆遺構の保存や活用に関する要望書を長崎市の担当者(右)に提出した平野さん(左)ら=同市役所
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戦時中に長崎市幸町にあり、長崎原爆で外国人捕虜らが死傷した「福岡俘虜(ふりょ)収容所第14分所」跡地から、2022年にれんが積みの構造物などが出土していたことが22日までに、市などへの取材で分かった。同分所の基礎部分とみられる。現地を当時確認した市は、熱線や爆風による「被爆の痕跡」が確認できないとして保存が必要な被爆遺構と認めず、既に撤去された。同日、被爆遺構の保存などに取り組む被爆者ら市民有志3人が市に経緯説明を求めた。

 同分所は1943年、爆心地から1・7キロの三菱重工業長崎造船所幸町工場内に設置。原爆投下時にはオランダや英国などの捕虜約200人が収容され、8人が被爆死したとされる。
 通販大手ジャパネットホールディングス(HD、佐世保市)が現地で10月に開業する「長崎スタジアムシティ」の建設過程で2022年に発見。同HDは取材に「長崎市の現地視察に協力し、市の判断を受け適切に対応した」と説明。れんがなどは現場から搬出し「産業廃棄物の処理ルールに基づき適切に処理した」としている。
 同HDは21年9月、開発の留意点をまとめた文書を市から受け取り、周辺が「滅失した被爆建造物等」である同分所の所在地だったことを把握。22年3月下旬、掘り起こした土かられんがのような物が出たと市に連絡した。
 市被爆継承課の学芸員らが同年4月8日、現地を視察。同分所があった敷地のうち、長さ10メートル前後、幅数メートルの範囲の地中から積み上げたれんがなどが見つかった。ただ市は▽戦後の土地利用で掘り起こされるなどして破壊が進んでいる▽熱線や火災によるすすの付着や、爆風によるひび割れなど原爆被害の痕跡が確認できない-といった理由で、保存対象に当たらないと判断。これを受け同HD側は同年5月までに構造物を撤去、処分した。
 今月22日、同課に経緯を質問した市民有志は「基礎部分とはいえ貴重な被爆遺構だ」として活用を要請。同分所で被爆したオランダ人元捕虜や遺族らの支援を続ける平野伸人さん(77)は「今も遺族が毎年のように訪れる大切な場所で、市は遺構をもっと丁寧に扱うべきだ。価値は被爆の痕跡だけで決められるものではない」と強調。同課と市民有志は今後も協議を続ける。