しばらくすると周囲がまた騒がしくなった。恐る恐る目を開けたが、今度は真っ暗闇に変わっていた。体が重くて動けない。何かが体の上に重なるようにして倒れていた。
友人の名前を呼ぶと、放心しきった顔が目の前に現れた。互いの無事を確かめ合い、数分待つと、だんだん目が慣れてきた。
「逃げるぞ」。2人で長崎市旭町の新聞販売店の外に飛び出し、一目散に走った。近くの石段を一気に駆け上がる。周辺の家はぺしゃんこにつぶれ、女性が助けを求める声が聞こえた。泣き叫んでいる人や真っ赤な両手で頭をかきむしっている人も見えた。
浦上一帯が廃虚と化していた。曲がりくねった鉄筋、折れた煙突。建物らしきものは何もない。空には煙が渦を巻きながら、どす黒く立ち込めている。まるで地獄図だ。
一心不乱に走り続けたが突然、友人が立ち止まった。そのまま、ぼうぜんと目の前を見つめている。「どうしたんだ! 何を考えとるんだ!」と肩に手を置いて呼び掛けると、彼はつぶやいた。「俺の家は、ここだったんだ」。涙を流し、電柱のように突っ立ったまま動かなくなった。
目の前には焼け残った瓦やれんがしか残されていない。一帯が同じような光景で、人影も見えない。熱気と悪臭で息苦しかった。友人に掛ける言葉もなく、時が止まったようになった。
自宅に戻るため、友人に別れを告げたが返事はなかった。背を向けたままの友人を置いて、わが家の方にまた走りだした。なぜか歩けない。恐怖で自然と走りだしてしまうのだ。
自宅は現在の大谷町にあった。遠くからわが家が見えて安堵(あんど)したが、近づくと屋根や玄関が吹き飛び、柱も折れていた。屋内は壊れた家具などが散乱し、足の踏み場もない。割れた小さな鏡に、汗とほこりで真っ黒に汚れた自分の顔が映っていた。釜の底に一握りのご飯が残っていた。腹が減っていたので無心でかぶりつくと、生きている実感が湧いてきた。
当時の自宅は父と兄の3人暮らし。日中は2人とも仕事に出ているから、自宅にはいないはずだ。数日前に諫早市に疎開した母と妹が無性に恋しくなった。
町内の世話人が避難を呼び掛けて走り回っていた。仕方なく近くの防空壕(ごう)に向かって、山道を歩いた。
1117回に続く