杉野智さん(88)
被爆当時13歳 淵国民学校高等科1年 爆心地から2.5キロの長崎市旭町で被爆

私の被爆ノート

強烈な閃光が走った

2021年7月8日 掲載
杉野智さん(88) 被爆当時13歳 淵国民学校高等科1年 爆心地から2.5キロの長崎市旭町で被爆

 当時は淵国民学校高等科の1年生。学徒報国隊として長崎市旭町にある新聞販売店に通い、13人の仲間と仕事をする毎日だった。
 あの日は、新聞の到着が遅れたのだろうか。店で働いていると、午前10時50分ごろに遠くで爆音が聞こえ、外が騒がしくなった。外に出ると近所の人たちが一様に空を見上げている。米軍のB29爆撃機が確認できた。1機、いや2機が銀色に輝き美しい。「日本の制空権を勝ち取った」とでも言うように悠然と飛んでいた。「偵察にでも来たのかなあ」と見上げていると、顔に日射が容赦なく照り付け、焼けるように熱い。
 「あれは何だ」と誰かが叫んだ。指さす方角に落下傘のようなものにつり下がった白い物体が見えた。風の吹くままに流されながら、少しずつ下降している。5、6分ほど見上げていたが、首筋が痛み店内に戻った。外の騒ぎはなかなか収まらない。
 突然、パアーっと強烈な閃光(せんこう)が辺りを走った。火の塊が目の中に飛び込んできたようだった。仲間一同「アッー」と叫んだ。溶鉱炉の中に入ったかのようにまぶしくて何も見えない。すぐ隣にいた友達の井上君の姿も見えなくなった。
 おびえながら、両手で目と耳を強く押さえて机の下に伏せた。今のところ痛みはないが、両目を押さえた手をなかなか離せなかった。強烈な光のせいで失明したのではないかと怖かったのだ。
 長い長い時間が過ぎたように思えた。恐る恐る手を外し、目を開ける。かすかながら見える。「よかった!」と叫びたくなるほどうれしかった。仲間はまだ伏せている。さっきまで騒がしかったのに不気味な静寂に包まれていた。遠い別世界に来たようで、また恐怖に駆られた。あの閃光は、何か想像を絶する恐ろしい事件の前触れに思えてならない。こんな場所で自分の体は耐えられるだろうか。
 気休めに心の中で数を数えていると「ゴォー」とも「ウォー」とも聞こえるうめき声のような音が遠くから聞こえた。地鳴りはだんだんと近寄ってくる。怖い。地面が持ち上げられて、どこかに飛び去ってしまいそうだ。「神様、助けてください」と心の中で願った。
 直後、強烈な熱風が吹き付けてきた。また目をつぶった。考える時間はない。動かずに耐えるしかなかった。

1116回に続く

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