当時10歳で矢上国民学校5年生。西彼杵郡矢上村田中名(現在の長崎市田中町)に住んでいた。
8月9日は学校を休み、畑仕事に出ていた両親の代わりに3歳の妹のお守りをしていた。家の近くの墓地で、近所の子どもたちと遊んでいたとき、ピカーッという閃光(せんこう)と同時に、ものすごい風に襲われ、抱いていた妹ごと吹き飛ばされた。
気が付くと、立っていた場所から何メートルも飛ばされていた。何が起こったのか分からずパニックになりながら、抱いていた妹がいないことに気付いた。地面に打ち付けられた衝撃で全身痛かったが、辺りを捜した。光を浴びたからなのか、半袖の服から出た腕がやけどをしたように熱くなっていた。妹は遠くの方で頭から血を流して泣いており、駆け寄って抱きかかえた。さっきまで青く広がっていた空が、真っ赤に染まっていた。
墓地の階段に座って母の迎えを待った。しばらくすると、血だらけの人や、やけどをした人がぞろぞろ歩いて来るのが見えた。「水を飲ませてください」。近所の大人たちが道路沿いの井戸から水をくみ、歩いてきた人たちに飲ませたり体に掛けてあげたりしていた。
2日後、爆心地近くに住んでいた母の妹と連絡が取れないということで、3歳の妹と一緒に両親が引くリヤカーに乗せられ捜しに行った。母の妹は無事に見つかったが、リヤカーの上から見る光景が恐ろしかった。あちこちで煙が上り、町全体が黒くくすぶっていた。牛、馬、人が足元にごろごろ転がっていた。
途中、家から持参した水筒代わりの瓶の水を飲み干したため、町の中で水が噴き出しているところを見つけて飲んでしまった。あまり長くしないうちに、歯茎が腫れ、高熱が出た。両親も熱が出た。原爆との関係は分からないが、「飲まなければよかった」と思う。
<私の願い>
考えただけで怖くて胸が苦しくなるので、今まで被爆体験を話したことはなかった。毎年8月9日は、式典を見るだけで涙が出る。でも、子や孫に同じような思いをさせたくないとの思いで話すことにした。 こんなつらい思いは自分たちだけで終わりにしたい。戦争は二度としてはいけない。