天気の良い暑い日だった「あの日」。言葉では言い表せないほどの体験をした。一日も早く忘れて楽になりたいのに、いまだにはっきりと写真のように浮かんでくる。
県立長崎高等女学校三年生。報国隊員として三菱兵器製作所大橋工場に動員され、友達と作業していた時だった。突然、ピカッと光り、目の前が真っ白に。びっくりして後ろを振り向くと、辺りは真っ白で、何も見えなくなった。
どれくらいの時間がたっていたのだろう。胸が苦しくなって意識が戻った時は、がれきと女の人の下敷きになっていた。女の人は首から大量の血を流し、周りは血の海。大きな材木や機械が倒れ、周りは何も見えない。体を動かそうとしても、身動きが取れない。死に物狂いではいだした。
工場内は屋根も壁もなくなっていた。唯一、鉄の柱だけが、ぐにゃぐにゃに曲がって立っていた。「助けてー」。どんなに叫んでも誰も出てこない。この世の中にたった一人取り残されたような恐怖だった。
工場から外に出て、言葉を失った。工場の建物は全部吹き飛ばされてばらばらになっていた。あまりの変わりように、どこに逃げればいいのか分からず、ぼうぜんとその場に立ちすくんだ。
純心女子高の前まで移動すると、大橋の方面からは全身が真っ黒に焼けただれた人などが、まるで、幽霊の行列のように何百人もの人が歩いてきた。皮膚は垂れ下がり、両手を痛そうに胸のところまで上げ、よろけながら歩いている。やけどをしていない人もガラスの破片が突き刺さったりとまともな人は一人もいない。頭が狂いそうなくらいショックだった。何も考えられず、当てもなく走って逃げようとしたが、足が動かない。それほど恐ろしかった。
その日以降、近所の人が集まって防空壕(ごう)で生活した。きのうまで話をしていた人が朝は死んでいる。「今夜はわたしが死ぬのかな」と不安な毎日だった。目を覚ますたびにホッとした。
<私の願い>
求めるのは「平和」ただ一つ。あんな苦しみを二度と若い人たちに体験させたくないので、戦争は断固反対。高校生一万人署名など、若い人たちの活動はできるだけ長く続けて、戦争の悲惨さを忘れないでほしい。戦争のない、今の平和な時を精いっぱい、命を大切に生きてほしい。