原爆が落ちた当時は七歳で、市立伊良林小の二年生だった。
その日は学校が休みで、朝から一人で自宅の向かいにある家に遊びに行った。おばさんは庭で洗濯中。家の中に入れてもらい、窓越しに話をしたり、外を眺めたりしていた。
ふと西の空を見たとき、いきなりピカッとものすごい光が走った後、家の中を爆風が駆け巡った。真っ暗で何も見えなくなった。思わず後ろに掛けてあったタオルで顔を覆い、しばらく動けずにいた。どのくらいうずくまっていたか覚えていないが、おばさんが家まで連れて帰ってくれた。
母と兄、弟、妹と一緒に父が帰るまで近所の防空壕(ごう)にいた。家族にけがはなかったが、近所の人が「爆弾が落ちた」と話していて、これからどうなってしまうのだろうという怖さがあった。
父が帰ってくると、高台の矢の平地区にあった広い防空壕へ向かった。そこには多くの人がひしめき合っていた。
夜寝ていると、あまりの人の多さに息苦しくなり、夜中に父が外へ連れ出してくれた。空が見たこともないピンクをしていた。夕焼けでもない、初めて見る空の色だった。市街地が燃えていて空に反射してそう見えたのだろう。あの色は今でも鮮明に覚えている。周りには多くの人がいたが、みなぼうぜんとして黙っていたのが印象的だった。
約二週間後、新中川町の自宅に戻り、伊良林小の体育館に運ばれてくるけが人のためにおにぎりを運ぶ手伝いをした。体育館にはびっしりと人が横たわり、強烈なにおいとともにいろんなうめき声もした。「けが人に水をあげると死ぬ」と聞いていたので「水をくれ」とすがられても、急いで通り過ぎることしかできなかった。
知人を捜すため、父と一緒に爆心地にも足を運んだ。そこは一面焼け野原で何もなかった。
<私の願い>
なぜ戦争をするのか、という思いがある。世界中には、原爆が日本で広島と長崎の二カ所に落ちたということをまだ知らない人がいるということを聞く。被爆地がどんなに苦しみを味わっているか、世界中の人に知ってほしい。核だけはこの世界からなくなってほしいと願っている。