十人きょうだいの下から二番目で当時八歳。物心ついたころ、兄や姉は県外に働きに出ていて、城山町の自宅にいたのは両親と姉、二人の兄と弟、私の七人だった。
あの日、上半身下着姿のまま縁側を走り回っていた。突然、目から火花が出たような黄色の光を見た。気がつくと、縁側から家の奥の炊事場まで吹き飛ばされ、つぶれた家の下敷きになっていた。 バラバラと土壁が落ちる音で意識を取り戻し、近くのすき間から外にはい出した。やっとの思いだった。空を見ると、雲がいっぱいに広がり、稲妻のようにゴロゴロと音を響かせながら、雲が立ち上っていた。おなかまで響く音だった。
姉が家の外に出てきた。顔は炭のように真っ黒で、きれいに結った髪が棒立ちになっていた。その姿を見て、私は泣き叫んだが、涙は不思議とこぼれていなかった。
怖くなり、再び家の下に潜り込んだ。どこからか声がする。声の方を向くと、親せきのおばさんが材木で顔を押しつぶされていた。再び気を失った。誰が助けてくれたのか分からないが、防空壕(ごう)の中にいた。
「カズ子」。防空壕で私を呼ぶ母の声がした。母は近所の養鶏場の手伝いをしていた。全身にやけどを負い、髪も着物も燃えていた。地面に寝かされたまま、原爆投下の翌日、死んだ。母の遺体は家の前の小川で焼いた。そのときは何も悲しみを感じなかった。姉と弟も相次いで死んだ。遊びに出ていた兄は行方不明のままだった。
生き残った父ともう一人の兄と私は、つぶれた家の跡に小屋を建てて住み始めた。父は肌寒くなるころに死んだ。兄と私は二人きりになった。私は近所の子どものお守りをしながら暮らした。食べ物もなかった。
夕方になると、みんな母親が迎えにくる。私は迎えにくる父も母もいなく、とても寂しかった。肉親を失った悲しみは年月がたつごとに募るばかりだった。
<私の願い>
母と一緒に暮らしたかった。子どもたちに体験を話しているが、私と同じような悲しい思いをしないでほしい。原爆が二度と落ちないように、戦争が二度と起こらないように願っている。