黒崎美千子
黒崎美千子(67)
黒崎美千子さん(67) 入市被爆 =長崎市桜木町=

私の被爆ノート

血まみれでさまよう人々

2003年9月18日 掲載
黒崎美千子
黒崎美千子(67) 黒崎美千子さん(67) 入市被爆 =長崎市桜木町=

磨屋国民学校の四年生だった。実家は銀屋町(現在の古川町)で菓子屋を営んでいたが、父が三菱重工長崎造船所に徴用されたため戸町の社宅に移り住んだ。夏休み期間中だったので、近くの防空ごうの前で近所の女の子と遊ぶ毎日だった。

八月九日。母親が防空ごうを掘る傍らで、早朝から社宅の向かいに住む女の子と遊んでいた。午前十一時二分。雑草を摘むためにかがんだ瞬間、真っ赤な光に包まれ同時に生暖かさを感じた。

反射的にそのままの姿勢で、友達も一緒に防空ごうに飛び込んだ。何が起こったのか分からず、しばらく身じろぎもできなかった。しばらくして、「コク、コク、コク」という音が聞こえた。外を見ると、巨大なきのこ雲が上がっていた。中から化け物が出てきそうな気がした。近所のおばさんは「広島に落ちた新型爆弾と同じもののようだ」と話した。

何時間たったのか。防空ごうの前の道を血まみれになったり、皮膚が焦げたりした人たちが、大浦方面からぞろぞろと歩いて来た。思わず「百鬼夜行」という言葉が脳裏に浮かんだ。恐らく、対岸の造船所で働いていた人たちだったと思う。口々に「浦上の方は見渡す限り焼け野原だ」と話しているのが聞こえた。

数日後、歯茎から白い物が出てきた。当時の新聞で「歯茎から血うみを指でこねり出しながら死んだ人がいる」という記事を読み、自分も死ぬのかと恐怖に襲われた。家族や友達にも言えなかったが、一カ月ほどたって元に戻った。

銀屋町の実家に戻ると「進駐軍が来たらとんでもないことになるぞ」などといううわさが流れ、一家で母の実家がある福岡県に移った。長崎駅から汽車に乗り、車窓から浦上の焼け野原を目にして驚いた。まだ焼け跡がくすぶり、赤い炎が出ていた。原爆投下から二週間余りが過ぎていた。
<私の願い>
核兵器が核抑止、戦争抑止になるという考えは幼稚だと思う。現在の世界の核をめぐる情勢は複雑になっている。そういう時代なのかとも感じるが、核廃絶に必要な問題を解決してほしい。子どもや孫の世代に核の問題を引き継ぎたくない。

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