宮崎 米敏
宮崎 米敏(70)
爆心地から約500メートルの長崎市上野町で被爆 =南高小浜町=

私の被爆ノート

地球が一時停止したよう

2002年3月30日 掲載
宮崎 米敏
宮崎 米敏(70) 爆心地から約500メートルの長崎市上野町で被爆 =南高小浜町=

当時、県立長崎工業学校(長崎市上野町)の二年生で、実家の南高小浜町を離れ、同市浜口町で下宿していた。原爆が落ちた日は登校していて、空襲警報が解除された後、同級生約八十人と一緒に学校の裏にある防空ごうの土を運び出す作業をしていた。

ごうの一番奥にいると、突然ドカーンという音が響き、爆風で一瞬気を失ってしまった。電灯が消えて真っ暗だったが、一緒にいた友人を呼ぶと返事があったので、二人で出口を目指した。

やっとのことで外に出てびっくりした。そこにいた生徒たちは、体中の皮ふがめくれ上がり、片方の眼球が飛び出し、胸の所にぶら下っている者もいた。辺りは静まり返り、煙とほこりで一寸先も見えないような状況。地球が一時停止したかのように思われた。

視界がはっきりしてくると、校舎が押しつぶされているのが見えた。近くの山里小学校の窓から火が噴き出し、市街地は高い火柱がゴウゴウ立ち上っていた。後から知ったが、この火柱は遠方からはキノコ雲となって見えたという。

友人と二人で、煙が上っていない金比羅山方面に逃げる途中、大粒の黒い雨が降ってきた。大きなカボチャが吹き飛ばされて石垣の下に積み重なっていたり、親子とみられる豚が歩いていたり、何とも奇妙で異様な感じがした。頭をけがした母親が幼児を抱いて「私はもう駄目です。この子を助けてください」と言いながら近づいて来た時のことは、今も忘れることができない。

日見トンネルを抜けて、北高飯盛町の友人の家にやっとたどり着き、二日ほど泊めてもらった。その後、小浜の実家まで歩いて帰ったが、家族は私の姿を見て幽霊と思ったらしく、縁側に腰掛けたまま動こうとしなかった。

帰宅してしばらくは、頭髪が抜けたり、夜うなされて飛び起きたりして家族に迷惑を掛けたことを覚えている。
<私の願い>
核兵器は人々の暮らしを一瞬でめちゃくちゃにしてしまう人道上許されない破壊兵器。動植物や地球環境に悪影響を及ぼす核実験や核戦争は、絶対にやってはならない。

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