=8月15日=
昨夜から姉が高い熱を出して、そばにいるだけで熱気を感じる。「顔は火が燃えているみたい」と言う。やけどで皮膚がはがれているうえに高熱なのでそう感じるのだろう。時々正気になってそんなことを言うかと思うと、また熱にうかされてうわ言を言ったりする。一杯の洗面器の水がすぐお湯のようになる。何度も外の井戸まで暗い道をたどって水をくみに行く。そばに死体がころがっていても、もう怖いとも思わない。母は黙って祈るような気持ちでいるのだろう。タオルを絞って額にのせて冷やすことを繰り返している。
【姉の死】
明け方近くと思われるが、外はまだまだ暗いうち、姉はフーッと大きな息をーつしたかと思うと呼吸が止まった。このとき初めて今まで泣き顔も見せなかった母が姉にすがって泣き出した。私もそんな母の姿を見て後から涙があふれてどうしようもなかった。
弟は相変わらずうなっている。今まで頼りにしていた姉に死なれて母はがっくりしたようだ。私はどうしようもなく先隣のおじいさんに知らせに行った。お隣は四人も元気な人がいたが、もう親せきの家にでも引き揚げたのか、だれもいない。おじいさんは一人ぼっちになってぼんやりしていられるが、とにかく来てもらった。おじいさんは壕(ごう)の入り口で火をたいてとにかく夜明けを待ちましょうと言われた。
姉の手を組ませてあげようとしたら、もう硬直していてボキッと鈍い音がした。あんなに苦しんで死んだから硬直が早いのだろうか。今まで座ったままだった母は急に気落ちしたのか、横になったまま物も言わない。私は急に心もとなく寂しくなってしまう。
やっと夜が明けたが、私一人の力では姉を壕から出すこともできない。死ぬとこんなに重くなるものだろうか。おんぶすることもできない。母は思考力を失ったようだ。私の力にもなってくれない。どうしたらいいかと一人思い惑う。
お昼前、父の会社の丸尾さん夫妻が訪ねて来られた。会社の船がちょうど戸町のドックに上がっていたとか。父は伊王島にいるものと思ってお見舞いのつもりで来られたとか。死体の浮かんだ川に漬かったりしながらやっとここを捜し当てたと言われる。「お姉さんは何ということに」「奥さんしっかりしてください。私たちが力になります」。地獄で仏とはこんなことかしら。私は二人の方に万人の力を得た気がした。
【姉の火葬】
テキパキと母と弟を壕の外に出し、姉も出して木片を集めて焼く支度をし、しけった防空壕の中の物を日に干し、持って来たおにぎりを私に食べさせてくださった。「お嬢さん、どんなにか心細かったでしょうに。よくここまでしなさった。それにしてもお父さんが亡くなっていられるとは」と絶句された。
やがて私が姉に火をつける。炎天の下、野焼きをする。物すごい炎、におい。
<メ モ>
爆心地一帯は市民の死体が無数に散乱、炎天の下、ものすごい異臭を放った。身元不明の遺体は、警察や地元住民らが燃え残った家屋廃材などで櫓(やぐら)を組んで火葬したという。被爆直後から、市内各所で荼毘(だび)する光景が見られ、その炎がやみ夜を焦がしたという。