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私の被爆ノート
被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。長崎新聞社は1996年から本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を、ホームページに掲載します。
「生々しい惨状」を目の当たりにし、絶望と怒り、悲しみのふちを超えた被爆者が勇気をふるい「核兵器廃絶」「世界平和」への切なる願いを次代に託そうとした「証言集」です。
なお、この証言集に登場された方のなかには、すでに亡くなられた方もいます。ご冥福をお祈りするとともに、その遺志がこのページを通して広く世界へ通じることを願ってやみません。
(文章は被爆者からの聞き取りで、長崎新聞に掲載されたものをそのまま使用しています。住所、年齢は掲載当時のものです。敬称略)
「私の被爆ノート一覧」
- 第 102 回 1997年12月24日 掲載 森田 忠光 「妹弟 追うように両親も」 translated by
- 第 101 回 1997年12月18日 掲載 山滝 房松 「下痢止まらず死も覚悟」 translated by
- 第 100 回 1997年12月5日 掲載 松尾 一男 「遺体焼き続け感情まひ」 translated by
- 第 99 回 1997年11月27日 掲載 前川 浅之 「街は夜通し燃え続け」 translated by
- 第 98 回 1997年11月22日 掲載 堀川 泰斗 「「水をくれ」叫ぶ学友」 translated by
- 第 97 回 1997年11月13日 掲載 松尾十七紀 「助け求める光景印象に」 translated by
- 第 96 回 1997年11月6日 掲載 深堀 好敏 「姉の遺髪手に両親のもとへ」 translated by
- 第 95 回 1997年10月30日 掲載 原口 美子 「目に耳に心に惨状が」 translated by
- 第 94 回 1997年10月23日 掲載 西村 正昭 「泣き叫ぶ声いまも脳裏に」 translated by
- 第 93 回 1997年10月16日 掲載 山川 米雄 「死体運びも怖くなかった」 translated by
- 第 92 回 1997年10月9日 掲載 築城 昭平 「発熱と脱毛に死を覚悟」 translated by
- 第 91 回 1997年10月2日 掲載 松本 政憲 「一晩中、野犬から遺体守る」 translated by
- 第 90 回 1997年9月26日 掲載 延田シヅエ 「幼子の叫び いまなお耳に」 translated by
- 第 89 回 1997年9月18日 掲載 川津 純子 「左目失明にさえ気付かず」 translated by
- 第 88 回 1997年9月11日 掲載 今里 静 「震え止まらず声殺した一夜」 translated by
- 第 87 回 1997年9月4日 掲載 橋本 利一 「電車が真っ赤な鉄の塊に」 translated by
- 第 86 回 1997年8月28日 掲載 出口 輝夫 「頭に傷ーひん死の状態」 translated by
- 第 85 回 1997年8月21日 掲載 富上ミツノ 「母も気付かない顔に」 translated by
- 第 84 回 1997年8月14日 掲載 浜 文城 「黒焦げの子供がいくつも」 translated by
- 第 83 回 1997年8月7日 掲載 三浦 英子 「辺りいっぱいにうめき声」 translated by
- 第 82 回 1997年8月1日 掲載 田上 正輔 「「もう一発食らうと死ぬ」」 translated by
- 第 81 回 1997年7月25日 掲載 鎌田 常之 「登校したきり帰らぬ弟」 translated by
- 第 80 回 1997年7月18日 掲載 瀬川 卓哉 「悲しさ、腹立たしさが交錯」 translated by
- 第 79 回 1997年7月9日 掲載 西河タケノ 「あまりの痛みで話せず」 translated by
- 第 78 回 1997年7月3日 掲載 多以良キミ 「すべてが地獄のよう」 translated by
- 第 77 回 1997年6月26日 掲載 矢口 勝巳 「死体の中で友人捜す」 translated by
- 第 76 回 1997年6月19日 掲載 石橋テル子 「無残な光景に放心状態」 translated by
- 第 75 回 1997年6月12日 掲載 大隈 直之 「広島の話聞いた直後に」 translated by
- 第 74 回 1997年6月5日 掲載 伊藤 宜邦 「再投下を恐れ3日野宿」 translated by
- 第 73 回 1997年5月29日 掲載 松尾 幸子 「遺体転がり焼け野原」 translated by
- 第 72 回 1997年5月22日 掲載 高井良 明 「池を囲む無数の死体」 translated by
- 第 71 回 1997年5月15日 掲載 住徳 一夫 「叔母ら家の下敷きに」 translated by
- 第 70 回 1997年5月11日 掲載 冨永 徹 「廃虚の町 傷ついた人々」 translated by
- 第 69 回 1997年5月8日 掲載 坂本フミヱ 「胸が裂け息絶えた男の子」 translated by
- 第 68 回 1997年4月24日 掲載 諸隈 賢一 「熱風襲い海へ転落」 translated by
- 第 67 回 1997年4月18日 掲載 山道テル子 「運命分けた1週間」 translated by
- 第 66 回 1997年4月10日 掲載 神木 三郎 「無数の焼死体「地獄絵」」 translated by
- 第 65 回 1997年4月9日 掲載 山下 護 「大音響、真っ黒の世界」 translated by
- 第 64 回 1997年4月3日 掲載 吉田 孝子 「家がつぶれ下敷きに」 translated by
- 第 63 回 1997年3月27日 掲載 相葉 アサ 「負傷者の治療に奔走」 translated by
- 第 62 回 1997年3月13日 掲載 山室 一二 「とにかく山へ逃げた」 translated by
- 第 61 回 1997年3月8日 掲載 山川 豊市 「黒焦げのクスノキ心に」 translated by
- 第 60 回 1997年2月27日 掲載 白浜 仁康 「姉2人のおかげで助かる」 translated by
- 第 59 回 1997年2月20日 掲載 川口 美人 「列車の遅れに救われる」 translated by
- 第 58 回 1997年2月13日 掲載 岩本 アヤ 「髪は抜け子供は血便」 translated by
- 第 57 回 1997年2月6日 掲載 マガイ・クニ子 「団らん襲った爆風」 translated by
- 第 56 回 1997年1月30日 掲載 谷口フサノ 「どこもまさに地獄絵図」 translated by
- 第 55 回 1997年1月23日 掲載 田羽多ミツエ 「身重…生きなければ」 translated by
- 第 54 回 1997年1月18日 掲載 松尾 典子・7 「息絶えるまで私の名を…」 translated by
- 第 53 回 1997年1月17日 掲載 松尾 典子・6 「二度と開かぬ弟の目」 translated by