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私の被爆ノート
被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。長崎新聞社は1996年から本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を、ホームページに掲載します。
「生々しい惨状」を目の当たりにし、絶望と怒り、悲しみのふちを超えた被爆者が勇気をふるい「核兵器廃絶」「世界平和」への切なる願いを次代に託そうとした「証言集」です。
なお、この証言集に登場された方のなかには、すでに亡くなられた方もいます。ご冥福をお祈りするとともに、その遺志がこのページを通して広く世界へ通じることを願ってやみません。
(文章は被爆者からの聞き取りで、長崎新聞に掲載されたものをそのまま使用しています。住所、年齢は掲載当時のものです。敬称略)
「私の被爆ノート一覧」
- 第 152 回 1999年1月14日 掲載 中村 栄 「あまりの惨状にがく然」 translated by
- 第 151 回 1999年1月7日 掲載 山本 節子 「黒焦げで重なる人々」 translated by
- 第 150 回 1998年12月24日 掲載 伊藤 昭二 「泣き叫ぶ声 なすすべなく」 translated by
- 第 149 回 1998年12月17日 掲載 山口洋一郎 「「炎の壁」と「どす黒い雲」」 translated by
- 第 148 回 1998年12月10日 掲載 佐野 信 「「水をくれ」と無数の手」 translated by
- 第 147 回 1998年11月26日 掲載 渡部 国人 「ベルトだけ残った死体も」 translated by
- 第 146 回 1998年11月20日 掲載 村上 秋子 「ぼう然と歩いた焼け野原」 translated by
- 第 145 回 1998年11月12日 掲載 木下奈美子 「高熱で一時は死も覚悟」 translated by
- 第 144 回 1998年11月4日 掲載 喜々津浅夫 「女性の悲鳴 今も耳に」 translated by
- 第 143 回 1998年10月29日 掲載 清水 昇 「熱線浴び全身大やけど」 translated by
- 第 142 回 1998年10月15日 掲載 吉田 勝二 「人目気にし心開けず」 translated by
- 第 141 回 1998年10月8日 掲載 大原靖次郎 「遠ざかる意識「自分も…」」 translated by
- 第 140 回 1998年10月1日 掲載 大崎 巌 「父、妹と奇跡的再会」 translated by
- 第 139 回 1998年9月17日 掲載 渡辺 司 「外国人捕虜の親切に涙」 translated by
- 第 138 回 1998年9月11日 掲載 吉岡 信泰 「建物は大破、下敷きに」 translated by
- 第 137 回 1998年9月4日 掲載 古瀬 一枝 「家族4人 自宅でだびに」 translated by
- 第 136 回 1998年8月27日 掲載 小溝昭七郎 「熱風の中を懸命に避難」 translated by
- 第 135 回 1998年8月20日 掲載 青山トシ子 「石柱の陰で命拾い」 translated by
- 第 134 回 1998年8月13日 掲載 安井 幸子 「兄弟、親せき23人逝く」 translated by
- 第 133 回 1998年8月6日 掲載 木下 八重 「“生存者”の兄捜したが」 translated by
- 第 132 回 1998年7月30日 掲載 中村 米子 「火の海となった駅前」 translated by
- 第 131 回 1998年7月23日 掲載 山口 仙二 「苦難の日々の始まり」 translated by
- 第 130 回 1998年7月17日 掲載 立川 義人 「ピカッと光り記憶失う」 translated by
- 第 129 回 1998年7月9日 掲載 森 キミ 「虫の息で「知らせて」と」 translated by
- 第 128 回 1998年7月2日 掲載 浜崎ミネ子 「変わり果てた姉葬る」 translated by
- 第 127 回 1998年6月25日 掲載 山脇 源司 「初の長崎訪問が悪夢に」 translated by
- 第 126 回 1998年6月18日 掲載 佐久間洋子 「全身包帯で帰ってきた父」 translated by
- 第 125 回 1998年6月11日 掲載 中島 勇夫 「顔半分に光線浴びた兄」 translated by
- 第 124 回 1998年5月28日 掲載 計屋 道夫 「近所では火葬が日常に」 translated by
- 第 123 回 1998年5月21日 掲載 和田 静 「背後から光線受け失神」 translated by
- 第 122 回 1998年5月14日 掲載 久家伊八郎 「「青い爆風」で大やけど」 translated by
- 第 121 回 1998年5月7日 掲載 山田 拓民 「生き延びた家族も次々と」 translated by
- 第 120 回 1998年4月30日 掲載 福長 春二 「退避せず逆に命拾い」 translated by
- 第 119 回 1998年4月23日 掲載 大久保和子 「混乱と自失の中に」 translated by
- 第 118 回 1998年4月16日 掲載 荒木 正人 「父らしい人骨あちこちに」 translated by
- 第 117 回 1998年4月9日 掲載 大島 昌子 「親孝行果たせず兄他界」 translated by
- 第 116 回 1998年4月3日 掲載 内田 保信 「消えるように死んだ友」 translated by
- 第 115 回 1998年3月28日 掲載 森 重子 「血で染まった母の背中」 translated by
- 第 114 回 1998年3月19日 掲載 今本十三夫 「足つかみ、水求める人々」 translated by
- 第 113 回 1998年3月13日 掲載 坂本 貞男 「医大病院で激しい衝撃」 translated by
- 第 112 回 1998年3月7日 掲載 浜田多美子 「防空ごうも血のにおい」 translated by
- 第 111 回 1998年3月6日 掲載 山村 和夫 「友達みんな犠牲に」 translated by
- 第 110 回 1998年2月19日 掲載 井手 操 「腰掛けたままの死体」 translated by
- 第 109 回 1998年2月14日 掲載 公門 敬 「試験の帰り 街並み一変」 translated by
- 第 108 回 1998年2月5日 掲載 反 安子 「お骨がわりに端切れ拾う」 translated by
- 第 107 回 1998年1月29日 掲載 下平 作江 「母も姉も全身黒焦げ」 translated by
- 第 106 回 1998年1月22日 掲載 戸川 スエ 「胸痛んだ姉妹と母親の死」 translated by
- 第 105 回 1998年1月15日 掲載 中村 栄重 「唸り声で「水、水…」」 translated by
- 第 104 回 1998年1月8日 掲載 織方誠吉郎 「無事を泣いて喜んだ父」 translated by
- 第 103 回 1997年12月26日 掲載 黒崎 勝也 「原爆投下の瞬間見た」 translated by