ピースサイト
私の被爆ノート
被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。長崎新聞社は1996年から本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を、ホームページに掲載します。
「生々しい惨状」を目の当たりにし、絶望と怒り、悲しみのふちを超えた被爆者が勇気をふるい「核兵器廃絶」「世界平和」への切なる願いを次代に託そうとした「証言集」です。
なお、この証言集に登場された方のなかには、すでに亡くなられた方もいます。ご冥福をお祈りするとともに、その遺志がこのページを通して広く世界へ通じることを願ってやみません。
(文章は被爆者からの聞き取りで、長崎新聞に掲載されたものをそのまま使用しています。住所、年齢は掲載当時のものです。敬称略)
「私の被爆ノート一覧」
- 第 252 回 2001年6月7日 掲載 岡持七月代 「悲惨な姿に言葉も出ず」 translated by
- 第 251 回 2001年5月31日 掲載 西光 知巳 「焼けた背中 地図のよう」 translated by
- 第 250 回 2001年5月24日 掲載 深堀八重子 「防空ごうは「阿鼻叫喚」」 translated by
- 第 249 回 2001年5月17日 掲載 松田 圭子 「孤独感と絶望感 今も心に」 translated by
- 第 248 回 2001年5月10日 掲載 山本 帝子 「敵味方なく慰め合った」 translated by
- 第 247 回 2001年5月3日 掲載 羽田 麗子 「警報におびえる日々」 translated by
- 第 246 回 2001年4月26日 掲載 桜田 好馬 「何とも言えない臭気」 translated by
- 第 245 回 2017年4月19日 掲載 笹田 三思 「「B29だ」とっさに身構え」 translated by
- 第 244 回 2001年4月12日 掲載 田中 敏治 「「水を…」今も離れない声」 translated by
- 第 243 回 2001年3月31日 掲載 岡田 勝良 「黒焦げの死体並ぶ」 translated by
- 第 242 回 2001年3月22日 掲載 近藤カズヱ 「一週間 下痢と嘔吐」 translated by
- 第 241 回 2001年3月15日 掲載 梶原 義治 「幸い無傷、必死に救護」 translated by
- 第 240 回 2001年3月8日 掲載 福田 執 「火の海から真っ黒な人々」 translated by
- 第 239 回 2001年3月1日 掲載 佐藤 繁治 「「いっそ殺してくれ」」 translated by
- 第 238 回 2001年2月22日 掲載 西田テル子 「爆風にたたきつけられ」 translated by
- 第 237 回 2001年2月8日 掲載 井手 信美 「空から真っ黒いものが」 translated by
- 第 236 回 2001年2月1日 掲載 松本徳三郎 「友捜すより恐怖が先に」 translated by
- 第 235 回 2001年1月27日 掲載 井手口ヨシ子 「恐怖で泣いたが涙出ず」 translated by
- 第 234 回 2001年1月18日 掲載 荒木 重良 「正視にたえられない惨状」 translated by
- 第 233 回 2001年1月11日 掲載 野村 健一 「「水を」今も脳裏に残る」 translated by
- 第 232 回 2000年12月22日 掲載 八頭司幸子 「やけどの皮膚にガラス片」 translated by
- 第 231 回 2000年12月16日 掲載 深堀 悟 「血をぬぐうとはげた皮膚」 translated by
- 第 230 回 2000年11月25日 掲載 梅本 典穂 「ホームに満ちた地獄絵図」 translated by
- 第 229 回 2000年11月16日 掲載 深堀 繁美 「人焼くにおい町に立ち込め」 translated by
- 第 228 回 2000年11月9日 掲載 本岡タマエ 「校庭の隅に遺体ずらり」 translated by
- 第 227 回 2000年11月2日 掲載 森崎スミ子 「電車や馬も燃え尽きて」 translated by
- 第 226 回 2000年10月26日 掲載 梅津 虎好 「川に折り重なった人々」 translated by
- 第 225 回 2000年10月18日 掲載 七種 二郎 「耳をつんざく叫び声」 translated by
- 第 224 回 2000年10月12日 掲載 合田 一江 「皮膚がめくれ皆無言で」 translated by
- 第 223 回 2000年10月5日 掲載 浜崎 順子 「大伯母 命犠牲に妹救う」 translated by
- 第 222 回 2000年9月28日 掲載 西田 秀雄 「次々死んでいった家族」 translated by
- 第 221 回 2000年9月14日 掲載 深井 文子 「両親の骨 一握りの灰に」 translated by
- 第 220 回 2000年9月8日 掲載 米田 倭雄 「小石交じりの黒い雨が」 translated by
- 第 219 回 2000年8月31日 掲載 城下健一郎 「工場がまるであめのよう」 translated by
- 第 218 回 2000年8月24日 掲載 吉田 末男 「運動場で多くの死者火葬」 translated by
- 第 217 回 2000年8月18日 掲載 富永 澄子 「赤く染まった浦上上空」 translated by
- 第 216 回 2000年8月11日 掲載 楠本 栄康 「弟は今も行方知れず」 translated by
- 第 215 回 2000年8月3日 掲載 戸田 英 「親しかった友人は即死」 translated by
- 第 214 回 2000年7月27日 掲載 丸田 精一 「出血、痛み…死を覚悟」 translated by
- 第 213 回 2000年7月20日 掲載 奥村 崇子 「放射線被害 後で知る」 translated by
- 第 212 回 2000年7月13日 掲載 大島 繁一 「水求め死にゆく人たち」 translated by
- 第 211 回 2000年7月8日 掲載 早瀬 トモ 「患者の苦痛 鎮められず」 translated by
- 第 210 回 2000年7月5日 掲載 吉川 ヤエ 「負傷し泣き叫ぶ韓国人」 translated by
- 第 209 回 2000年6月23日 掲載 野中大四郎 「指先に残る死体の感触」 translated by
- 第 208 回 2000年6月8日 掲載 富野 乾蔵 「耳に残る“助けて”の声」 translated by
- 第 207 回 2000年6月1日 掲載 柴田 一 「頭髪抜け、体中にできもの」 translated by
- 第 206 回 2000年5月25日 掲載 森下 晃誠 「死体運ぶと皮膚が手に」 translated by
- 第 205 回 2000年5月18日 掲載 浜本 宮太 「立ったまま息絶えた人も」 translated by
- 第 204 回 2000年5月12日 掲載 児島ソエ子 「同僚亡くなり、悲しくて」 translated by
- 第 203 回 2000年4月28日 掲載 柳原 英子 「体つねり“生”実感」 translated by