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私の被爆ノート
被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。長崎新聞社は1996年から本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を、ホームページに掲載します。
「生々しい惨状」を目の当たりにし、絶望と怒り、悲しみのふちを超えた被爆者が勇気をふるい「核兵器廃絶」「世界平和」への切なる願いを次代に託そうとした「証言集」です。
なお、この証言集に登場された方のなかには、すでに亡くなられた方もいます。ご冥福をお祈りするとともに、その遺志がこのページを通して広く世界へ通じることを願ってやみません。
(文章は被爆者からの聞き取りで、長崎新聞に掲載されたものをそのまま使用しています。住所、年齢は掲載当時のものです。敬称略)
「私の被爆ノート一覧」
- 第 302 回 2002年7月25日 掲載 西川 政見 「米俵の上に屋根が崩壊」 translated by
- 第 301 回 2002年7月18日 掲載 前田 宏 「黒焦げの死体 地獄絵図」 translated by
- 第 300 回 2002年7月11日 掲載 高山 鈴枝 「必死で線路まで走る」 translated by
- 第 299 回 2002年7月4日 掲載 伊東 豪健 「わめき声あふれ地獄」 translated by
- 第 298 回 2002年6月27日 掲載 友廣 良子 「がれきの丘 はい上がる」 translated by
- 第 297 回 2002年6月13日 掲載 長谷ヨシ子 「顔も体も焼けた同僚」 translated by
- 第 296 回 2002年6月6日 掲載 阿比留 廉 「大勢の死人浮かぶ浦上川」 translated by
- 第 295 回 2002年5月30日 掲載 手嶋 喜吉 「ものすごい爆風の後 黒い雨」 translated by
- 第 294 回 2002年5月23日 掲載 山口 照光 「焼け野原で負傷者搬送」 translated by
- 第 293 回 2002年5月16日 掲載 西村 政子 「出迎えた父の姿に涙」 translated by
- 第 292 回 2002年5月9日 掲載 川原 才作 「今も激痛伴うガラス片」 translated by
- 第 291 回 2002年5月3日 掲載 野原ヨシエ 「電話殺到で一大事実感」 translated by
- 第 290 回 2002年4月25日 掲載 小森イマ子 「ずきん取った顔に熱風」 translated by
- 第 289 回 2002年4月18日 掲載 藤原 芳春 「不明の兄 今も心に重く」 translated by
- 第 288 回 2002年4月11日 掲載 森田 宏 「死体の山 地獄絵さながら」 translated by
- 第 287 回 2002年4月4日 掲載 川島 小枝 「爆音響き、畳が数回回転」 translated by
- 第 286 回 2002年3月30日 掲載 宮崎 米敏 「地球が一時停止したよう」 translated by
- 第 285 回 2002年3月22日 掲載 城臺美彌子 「防空ごうで苦しむ声」 translated by
- 第 284 回 2002年3月14日 掲載 大津千鶴子 「負傷者や子供助けられず」 translated by
- 第 283 回 2002年3月8日 掲載 熊本ツギノ 「健康な体を返して」 translated by
- 第 282 回 2002年2月21日 掲載 小崎 登明 「助けられず心の痛みに」 translated by
- 第 281 回 2002年2月7日 掲載 浦部 豊子 「延々と続く悲惨な光景」 translated by
- 第 280 回 2002年1月31日 掲載 浅野 茂義 「至る所に黒焦げの遺体」 translated by
- 第 279 回 2002年1月24日 掲載 石田美智子 「まさに生き地獄の光景」 translated by
- 第 278 回 2002年1月17日 掲載 山田ハルコ 「人生変わったあの一瞬」 translated by
- 第 277 回 2002年1月10日 掲載 山村 繁雄 「布団ごと飛ばされた」 translated by
- 第 276 回 2001年12月27日 掲載 山川サミエ 「人の死を初めて直視」 translated by
- 第 275 回 2001年12月19日 掲載 毎熊 茂 「救援活動で惨状に直面」 translated by
- 第 274 回 2001年12月13日 掲載 浦 清人 「目に焼き付く「火の海」」 translated by
- 第 273 回 2001年12月6日 掲載 中村 由一 「差別への怒りでいっぱい」 translated by
- 第 272 回 2001年11月29日 掲載 田中 正行 「眼前の荒野信じ難く」 translated by
- 第 271 回 2001年11月15日 掲載 長山 敏 「恐ろしい夢で眠れず」 translated by
- 第 270 回 2001年11月8日 掲載 後田吾一郎 「忘れられぬ水飲む姿」 translated by
- 第 269 回 2001年11月2日 掲載 白木千代子 「大破した木造校舎」 translated by
- 第 268 回 2001年10月26日 掲載 相川 綾子 「母の遺体を包む炎」 translated by
- 第 267 回 2001年10月18日 掲載 渡邊すが子 「「だれも おらんとよ」と兄」 translated by
- 第 266 回 2001年10月5日 掲載 八坂 末夫 「つり革握ったままの死体」 translated by
- 第 265 回 2001年9月27日 掲載 西村 勇夫 「梁に挟まれた母 救出」 translated by
- 第 264 回 2001年9月25日 掲載 松尾マツエ 「母と妹、弟も次々に」 translated by
- 第 263 回 2001年9月13日 掲載 山口 麗子 「道に無数の黒焦げ遺体」 translated by
- 第 262 回 2001年9月6日 掲載 岩本シゲ子 「焼け野原を歩き続け」 translated by
- 第 261 回 2001年8月30日 掲載 松野 隆子 「死体山積み 懸命に供養」 translated by
- 第 260 回 2001年8月23日 掲載 岩永 静枝 「受け持ち児童が犠牲」 translated by
- 第 259 回 2001年8月16日 掲載 橋口 英市 「身内捜す悲痛な叫び声」 translated by
- 第 258 回 2001年8月9日 掲載 山田 源吾 「焼けた親類の遺骨拾う」 translated by
- 第 257 回 2001年8月2日 掲載 田島 勉 「長崎駅の光景、悲惨…」 translated by
- 第 256 回 2001年7月27日 掲載 橋本セツ子 「直視できないほどの惨状」 translated by
- 第 255 回 2001年7月5日 掲載 染木マツエ 「遺骨なく砂になった姉」 translated by
- 第 254 回 2001年6月28日 掲載 神田 榮守 「生きながら焼け死んだ級友」 translated by
- 第 253 回 2001年6月14日 掲載 西川 ヨシ 「空一面 火の海のよう」 translated by