ピースサイト
私の被爆ノート
被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。長崎新聞社は1996年から本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を、ホームページに掲載します。
「生々しい惨状」を目の当たりにし、絶望と怒り、悲しみのふちを超えた被爆者が勇気をふるい「核兵器廃絶」「世界平和」への切なる願いを次代に託そうとした「証言集」です。
なお、この証言集に登場された方のなかには、すでに亡くなられた方もいます。ご冥福をお祈りするとともに、その遺志がこのページを通して広く世界へ通じることを願ってやみません。
(文章は被爆者からの聞き取りで、長崎新聞に掲載されたものをそのまま使用しています。住所、年齢は掲載当時のものです。敬称略)
「私の被爆ノート一覧」
- 第 352 回 2003年8月21日 掲載 堂尾 敦子 「命からがら工場の外に」 translated by
- 第 351 回 2003年8月14日 掲載 吉川 泰子 「脳の腫瘍、原爆が原因か」 translated by
- 第 350 回 2003年8月7日 掲載 辻 卯一 「腐臭の中の死体収容」 translated by
- 第 349 回 2003年7月31日 掲載 武藤 昌矢 「巨大な雲見つめぼうぜん」 translated by
- 第 348 回 2003年7月24日 掲載 田中 巌 「市街地には遺体の山」 translated by
- 第 347 回 2003年7月17日 掲載 手島ハル子 「友人の顔も火膨れに」 translated by
- 第 346 回 2003年7月10日 掲載 林 敏枝 「おにぎり食べ「生」実感」 translated by
- 第 345 回 2003年7月3日 掲載 中島 勇 「雨がシャツに灰色の染み」 translated by
- 第 344 回 2003年6月27日 掲載 開 稔 「信じたかった姉の生存」 translated by
- 第 343 回 2003年6月19日 掲載 榊 安彦 「父と姉の死 母は放心状態」 translated by
- 第 342 回 2003年6月12日 掲載 小野 和敏 「瞬間、背後から爆風」 translated by
- 第 341 回 2003年6月7日 掲載 宮崎 敏美 「泣く女の子抱くと息絶え」 translated by
- 第 340 回 2003年5月29日 掲載 山口トシ子 「出産後に絶命 今も目に」 translated by
- 第 339 回 2003年5月22日 掲載 山中 繁良 「列車で多数の負傷者運ぶ」 translated by
- 第 338 回 2003年5月15日 掲載 久保 田鶴子 「長姉の遺体見つけた父」 translated by
- 第 337 回 2003年5月2日 掲載 桑原 久生 「首などに無数のガラス片」 translated by
- 第 336 回 2003年4月24日 掲載 宮崎 正光 「「水ば…」渇き訴える」 translated by
- 第 335 回 2003年4月18日 掲載 八並サツ子 「無数の死体に感覚まひ」 translated by
- 第 334 回 2003年4月10日 掲載 松尾志づ子 「校舎崩れ下敷きに」 translated by
- 第 333 回 2003年4月3日 掲載 中道 綾子 「負傷者の手当てできず」 translated by
- 第 332 回 2003年3月29日 掲載 中野哲太郎 「指先に見えた白い骨」 translated by
- 第 331 回 2003年3月13日 掲載 梅津 京子 「今でも近づけない」 translated by
- 第 330 回 2003年3月6日 掲載 中島 廣喜 「体に無数のガラス片」 translated by
- 第 329 回 2017年3月1日 掲載 山内 良巳 「自分の手で家族だびに」 translated by
- 第 328 回 2003年2月13日 掲載 小島 節夫 「校舎焼け、学友も死亡」 translated by
- 第 327 回 2003年2月6日 掲載 毎熊 弘行 「うわごとで「ギター」」 translated by
- 第 326 回 2003年1月30日 掲載 出原 幸子 「無言で死んだおじさん」 translated by
- 第 325 回 2003年1月18日 掲載 水田セイ子 「想像絶する焼け野原」 translated by
- 第 324 回 2003年1月9日 掲載 嵩 安子 「顔や腕にはガラス片」 translated by
- 第 323 回 2002年12月28日 掲載 高島 進 「皮膚はげたまま歩く老人」 translated by
- 第 322 回 2002年12月26日 掲載 三輪 博志 「女性の遺体 友人と搬送」 translated by
- 第 321 回 2002年12月12日 掲載 萩山 広見 「突然ピカーッと明るく」 translated by
- 第 320 回 2002年12月5日 掲載 吉山 裕子 「マスク生活が何年も」 translated by
- 第 319 回 2002年11月28日 掲載 磯 千守 「浦上川に無数の遺体」 translated by
- 第 318 回 2002年11月21日 掲載 馬渡 正子 「せん光、ごう音、爆風で気絶」 translated by
- 第 317 回 2002年11月14日 掲載 山本 憲一 「死を意識した少年時代」 translated by
- 第 316 回 2002年11月7日 掲載 佐々木留次郎 「死体のぞき親類捜す人々」 translated by
- 第 315 回 2002年10月31日 掲載 朝長 市造 「死を覚悟し母親と帰宅」 translated by
- 第 314 回 2002年10月24日 掲載 松尾 信義 「見るも無惨な町広がる」 translated by
- 第 313 回 2002年10月17日 掲載 犬塚 清 「長崎の山が燃えていた」 translated by
- 第 312 回 2002年10月11日 掲載 山坂 厚 「現在も放射能への不安」 translated by
- 第 311 回 2002年9月26日 掲載 浅本 勝子 「腐敗臭の中 家族探す」 translated by
- 第 310 回 2002年9月19日 掲載 朝長 政子 「焼け野原の惨状今も」 translated by
- 第 309 回 2002年9月12日 掲載 吉永 正子 「傷治るもケロイド残り…」 translated by
- 第 308 回 2002年9月5日 掲載 石崎タミ子 「悲惨だった2組の親子」 translated by
- 第 307 回 2002年8月29日 掲載 吉野アイ子 「顔に鉄の棒突き刺さる」 translated by
- 第 306 回 2002年8月22日 掲載 吉山 昭子 「姉2人の生存 涙止まらず」 translated by
- 第 305 回 2002年8月15日 掲載 山口 正則 「負傷者搬送見るに堪えず」 translated by
- 第 304 回 2002年8月9日 掲載 松尾 チヨ 「血染めの服で戻った妹」 translated by
- 第 303 回 2002年8月1日 掲載 鍛冶梁久米一 「「足切って」と若い女性」 translated by