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私の被爆ノート
被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。長崎新聞社は1996年から本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を、ホームページに掲載します。
「生々しい惨状」を目の当たりにし、絶望と怒り、悲しみのふちを超えた被爆者が勇気をふるい「核兵器廃絶」「世界平和」への切なる願いを次代に託そうとした「証言集」です。
なお、この証言集に登場された方のなかには、すでに亡くなられた方もいます。ご冥福をお祈りするとともに、その遺志がこのページを通して広く世界へ通じることを願ってやみません。
(文章は被爆者からの聞き取りで、長崎新聞に掲載されたものをそのまま使用しています。住所、年齢は掲載当時のものです。敬称略)
「私の被爆ノート一覧」
- 第 452 回 2005年10月13日 掲載 田中 清六 「死者名簿に自分の名」 translated by
- 第 451 回 2005年10月6日 掲載 高橋 雪子 「閃光と爆風 地下室に」 translated by
- 第 450 回 2005年9月29日 掲載 石田チヨ子 「9月に入り症状現れ」 translated by
- 第 449 回 2005年9月15日 掲載 谷口 恵美 「遺体への感覚がまひ」 translated by
- 第 448 回 2005年9月8日 掲載 中島智津子 「恐怖で一歩も進めず」 translated by
- 第 447 回 2005年9月1日 掲載 柿山 澄子 「暴風吹き煙に覆われ」 translated by
- 第 446 回 2005年8月25日 掲載 飯田マリ子 「弟背負い火の海逃れ」 translated by
- 第 445 回 2005年8月18日 掲載 松尾 信江 「「米兵上陸」恐れ避難」 translated by
- 第 444 回 2005年8月11日 掲載 平山 梅子 「1歳半の子亡くし地獄」 translated by
- 第 443 回 2005年8月4日 掲載 横山ヨシヱ 「体中に無数のガラス片」 translated by
- 第 442 回 2005年7月28日 掲載 宮本フジヱ 「はだしのまま傷だらけ」 translated by
- 第 441 回 2005年7月21日 掲載 松山 榮子 「母と姉の遺骨捜す日々」 translated by
- 第 440 回 2005年7月14日 掲載 原田 侑季 「ガラス片が降りかかる」 translated by
- 第 439 回 2005年7月7日 掲載 芦原 学 「運命変えた原爆投下」 translated by
- 第 438 回 2005年7月2日 掲載 法村 久雄 「太陽が赤く見えた」 translated by
- 第 437 回 2005年6月23日 掲載 武田 國義 「同僚の遺体捜し求め」 translated by
- 第 436 回 2005年6月16日 掲載 溝上 俊一 「数日後に遺体確認」 translated by
- 第 435 回 2005年6月9日 掲載 中島 安盛 「敵機見えた直後、閃光」 translated by
- 第 434 回 2005年6月2日 掲載 田中 重光 「爆風爆音にただ、おびえ」 translated by
- 第 433 回 2005年5月26日 掲載 阿讃坊 正 「突然目の前が真っ白に」 translated by
- 第 432 回 2005年5月19日 掲載 宮田 隆 「偶然見た“異様な物体”」 translated by
- 第 431 回 2005年5月13日 掲載 山下 泰昭 「わが家 数本の柱だけに」 translated by
- 第 430 回 2005年4月28日 掲載 廣瀬 隆 「がれきから「助けて」」 translated by
- 第 429 回 2005年4月21日 掲載 山本スミヱ 「懸命にうじ虫ふき取る」 translated by
- 第 428 回 2005年4月14日 掲載 秋葉 敬 「雷の何十倍もの光が」 translated by
- 第 427 回 2005年4月7日 掲載 平川 福重 「閃光境に生き地獄」 translated by
- 第 426 回 2005年3月31日 掲載 松下 春雄 「ひん死の子どもに水」 translated by
- 第 425 回 2005年3月24日 掲載 飯田 元信 「塹壕造りの中「ドーン」」 translated by
- 第 424 回 2005年3月17日 掲載 山下 護 「負傷者あふれ生き地獄」 translated by
- 第 423 回 2005年3月12日 掲載 名切元弘美 「光と強い風に襲われ」 translated by
- 第 422 回 2005年3月3日 掲載 古賀 孝雄 「被爆者を病院まで運ぶ」 translated by
- 第 421 回 2005年2月24日 掲載 濱崎 怜子 「母親が「見てはだめ」と」 translated by
- 第 420 回 2005年2月17日 掲載 坂本キミ子 「家族の死にも涙出ず」 translated by
- 第 419 回 2005年2月10日 掲載 本浦 義昭 「家の建具の下敷きに」 translated by
- 第 418 回 2005年2月3日 掲載 中村 輝雄 「茶釜が守ってくれた」 translated by
- 第 417 回 2005年1月27日 掲載 松本 博 「「この世の終わりか」」 translated by
- 第 416 回 2005年1月20日 掲載 原田 尚紀 「被災者で壕いっぱいに」 translated by
- 第 415 回 2005年1月13日 掲載 尾上サチヱ 「1人も助からなかった」 translated by
- 第 414 回 2005年1月6日 掲載 柿本 武代 「防空壕に充満する異臭」 translated by
- 第 413 回 2004年12月16日 掲載 中島 省吾 「地獄のような光景広がる」 translated by
- 第 412 回 2004年12月9日 掲載 小原 一男 「あちこちで遺体火葬」 translated by
- 第 411 回 2004年12月2日 掲載 田中 良彦 「人影なく生きた心地せず」 translated by
- 第 410 回 2004年11月25日 掲載 寺井 眞澄 「水を求める断末魔の声」 translated by
- 第 409 回 2004年11月18日 掲載 永野 正治 「重なって息絶えた人々」 translated by
- 第 408 回 2004年11月11日 掲載 崎田シゲノ 「負傷者で足の踏み場なく」 translated by
- 第 407 回 2004年11月4日 掲載 辻 詮悟 「水求める多くの負傷者」 translated by
- 第 406 回 2004年10月28日 掲載 井上 房江 「火の海を母の元へ」 translated by
- 第 405 回 2004年10月21日 掲載 牧野 政江 「爆風で階段へ「痛い」」 translated by
- 第 404 回 2004年10月14日 掲載 川渕千代子 「人や馬の死体ごろごろ」 translated by
- 第 403 回 2004年10月7日 掲載 大平ヒサ子 「真っ赤な光に気絶」 translated by