ピースサイト 2021年ピースサイト関連企画 2021/08/02 ありがとうと伝えたくて 山口キクの95年(2) 【偶然】親戚と出会い教会へ 19歳で長崎原爆に遭った山口キク(95)は、長崎市川平町で生まれ育った。4人姉妹の末っ子。畑と田んぼがあり、一家が食べられる分の食料は確保できていた。 西浦上青年学校(現在の文教町)を卒業後、同級生のほとんどは三菱兵 […] 2021/08/01 ありがとうと伝えたくて 山口キクの95年(1) 【告白】脱毛、無月経…死を覚悟 永井先生の言葉が希望に 76年前を思い出し、声を震わせながら、髪にそっと手を触れる。 「髪も全部抜けてしもうて。生理も8カ月来なかった」 長崎市内に暮らす被爆者、山口キク(95)が取材に応じて、これまでふたをしてきた体験をぽつりぽつりと語 […] 2021/01/25 歴史の目撃者 核禁条約発効(下) 被爆者 田中安次郎さん 核廃絶へ「これからも活動」 あの日、近所の子どもと長崎市新中川町(爆心地から3・4キロ)にあった自宅近くの路上で遊んでいた。突然だった。何万個ものカメラのフラッシュを浴びたような閃光(せんこう)と、すさまじい爆風。3歳だった田中安次郎(78)=同 […] 2021/01/24 歴史の目撃者 核禁条約発効(中) 被爆2世 阪口博子さん 高校生演説「実相伝わる」 「立ち会いたい」。被爆2世の阪口博子(71)=長崎市鶴見台2丁目=は胸が高鳴った。2013~14年にノルウェー、メキシコ、オーストリアで計3回開かれた「核兵器の非人道性に関する国際会議」。初回のノルウェー会議と、核兵器 […] 2021/01/23 歴史の目撃者 核禁条約発効(上) 元長崎市職員・永田博光さん 故・伊藤市長の主張、当時を振り返る 長崎市長が証言台で陳述中、言葉を詰まらせた。 「ん、大丈夫かな」-。随行職員だった永田博光(70)=同市城山台1丁目=が目をやると、市長は涙ぐんでいた。 1995年11月、オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ) […] 前のページへ<12 ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ