ピースサイト 2017年ピースサイト関連企画 2017/09/05 試練の被爆地 下 「象徴」を失うも前へ 1日、長崎市の火葬場。長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)会長、谷口稜曄(すみてる)さん(享年88)の告別式を終え、納骨に立ち会った「長崎被災協・被爆二世の会・長崎」会長の佐藤直子さん(53)は、途方に暮れていた。翌2日 […] 2017/09/04 試練の被爆地 中 遺志継ぐ責任重く ファイルから名簿を取り出すと、男性は深いため息をついた。名簿には、修学旅行生らに被爆体験を語る長崎平和推進協会継承部会に2007年4月時点で所属した40人の名が連なる。だが、その半分ほどは横線が引かれていた。 「線が […] 2017/09/03 試練の被爆地 上 核なき世界 出発点に 「一つの時代が終わった」 2日午後。土山秀夫さん(92)の訃報を知人からの電話で知ると、核廃絶を訴える高校生1万人署名活動実行委の責任者、平野伸人さん(70)は驚きとともにそんな思いに駆られた。 前日には、8月30 […] 2017/08/05 憲法考 長崎から 被爆者と9条 6(完) 核なき世界 出発点に 7月26日、長崎市中心部のアーケード。蒸し暑さが漂う中、被爆2世や若者ら約30人が核兵器廃絶を求める「ヒバクシャ国際署名」を集めていた。毎月1回の活動で、これまで多くの被爆者が率先して街頭に立ってきたが、この日は猛暑に […] 2017/08/04 憲法考 長崎から 被爆者と9条 5 唯一の戦死、「事故」に 朝鮮戦争が勃発した1950年6月、広島、長崎に続き核兵器が使われるのではないかとの危機感が国際社会で高まった。これに対し核兵器禁止を求める署名が世界で5億筆、米軍占領下の日本でも645万筆が集まり、米国に使用を思いとど […] 2017/08/03 憲法考 長崎から 被爆者と9条 4 安保が抑止、戦力明記を 「あそこから爆撃機のB29が飛んできて、落下傘を付けた原子爆弾が落ちたんだ」。長崎原爆被爆者の会長与支部長の西村勇(83)は7月19日、母校の西彼長与町立洗切小の教室で、窓の先の山を指さし、子どもたちに被爆体験を語って […] 2017/08/02 憲法考 長崎から 被爆者と9条 3 危機感高く、関心低く 6月7日。被爆者の全国組織、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は大きな節目を迎えた。被爆者運動の要となる事務局長が17年ぶりに交代するなど新しい執行部を総会で決定した。会場の東京都内のホテルには約110人が出席し、例 […] 2017/08/01 憲法考 長崎から 被爆者と9条 2 順守が“国家補償” 1966年5月3日の憲法記念日。長崎市内で開かれた集会で、長崎の被爆詩人、福田須磨子=当時(44)=は「憲法と被爆者の権利」と題した自作の詩を朗読した。 「世界のどこの国にも比類のない 誇り高いその平和憲法が 舌の根 […] 2017/07/31 憲法考 長崎から 被爆者と9条 1 60年安保、詩人怒る 7月8日。長崎の被爆者、池田早苗(84)は長崎市の爆心地公園そばに立つ被爆詩人、福田須磨子(1922~74年)の詩碑の前にいた。 前日の深夜、核兵器の使用を非合法化する「核兵器禁止条約」が国連の会合で採択され、その報 […] 2017/07/26 言葉を超える力 原爆写真 深堀好敏の軌跡 7(完) 38年の“財産”次世代へ 今年4月、深堀好敏(88)は長崎原爆の日に「平和への誓い」を述べる被爆者代表に選ばれた。記者会見で初の公募に手を挙げた理由を尋ねられると、「今年は一つの区切りと捉えている」と明快に答えた。原爆投下翌日の惨状を撮影した旧 […] 12次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ