ピースサイト 2016年ピースサイト関連企画 2016/02/06 ナガサキの視点 ポスト被爆70年 上 被爆者運動 高齢 風化「岐路」に挑む 被爆70年の2015年が幕を下ろし、新たな1年がスタートした。核の惨禍を体験した被爆者は、平均年齢が80歳を超えるという「岐路」にあってなお、「戦争や核兵器のない世界を」と訴えている。体の衰えと人生の終わり方を意識しな […] 2016/01/21 戦後71年ながさき 戦争の残照旧日本兵の証言 元陸軍第十八師団伍長尾上宮雄さん(94)=長崎市 4(完) 戦前の様相漂う今 憂う 1944(昭和19)年12月、ビルマ(現ミャンマー)戦線で、連合軍の圧倒的兵力と補給戦略を前に劣勢に立たされた陸軍第十八師団。尾上宮雄の隊は、バーモで濃霧を突破後、転戦を繰り返し、45年5月から南部シッタンで勝機なき攻 […] 2016/01/20 戦後71年ながさき 戦争の残照旧日本兵の証言 元陸軍第十八師団伍長尾上宮雄さん(94)=長崎市 3 死の谷で傷病兵 自決も 1942(昭和17)年6月ごろ、尾上宮雄がビルマ(現ミャンマー)で合流した陸軍第十八師団は、その後、占領地防衛のため北部で警備に当たっていた。 43年1月、ビルマ奪還を狙う連合軍は、インドと中国をビルマ経由で結ぶ輸送 […] 2016/01/19 戦後71年ながさき 戦争の残照旧日本兵の証言 元陸軍第十八師団伍長尾上宮雄さん(94)=長崎市 2 “替えが利く”よう訓練 尾上宮雄は1921(大正10)年、北高戸石村(現長崎市上戸石町)で左官の父甚八、母千代の長男として生まれた。縄跳びにこま回し、山登りと遊び回った幼少期。”当たり前の幸福”があった。 地区の青年 […] 2016/01/18 戦後71年ながさき 戦争の残照旧日本兵の証言 元陸軍第十八師団伍長尾上宮雄さん(94)=長崎市 1 ビルマ戦 濃霧の中の突撃 東南アジア西端に位置する英植民地ビルマ(現ミャンマー)北部のバーモ。1944(昭和19)年12月中旬、約1200人の日本軍は、万単位の連合軍に包囲されていた。陸軍第十八師団の山砲兵第十八連隊第一中隊伍長、尾上宮雄は、濃 […] 前のページへ<1234 ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ