ピースサイト 2016年ピースサイト関連企画 2016/03/28 被爆71年 原爆をどう伝えたか 第6部 5 海外取材地元紙として模索続く 核兵器をめぐる審理がオランダの国際司法裁判所で始まった1995(平成7)年11月初旬。日本政府の証人として出廷する長崎市長(当時)、伊藤一長の陳述原稿が外務省の”圧力”で二転三転する状況が連日、 […] 2016/03/27 被爆71年 原爆をどう伝えたか 第6部 4 戦争責任と加害(4)不戦の未来 つくる義務 1995(平成7)年夏、県被爆二世教職員の会会長の平野伸人(69)=現平和活動支援センター所長=は、韓国ソウル郊外に向かうバスに揺られていた。平野らが同年7月に韓国で企画した原爆展に激しい抗議活動を展開した盧炳禮=当時 […] 2016/03/26 被爆71年 原爆をどう伝えたか 第6部 3 戦争責任と加害(3) 世界の“正当化論”に直面 天皇の戦争責任に言及し、右翼の銃弾を浴びた長崎市長(当時)、本島等は一命をとりとめた。事件から1週間後に病室で応じた取材では「昭和天皇にも当時の軍閥にも、指導的立場の末端にいた私にも、大小にかかわらず戦争責任があった」 […] 2016/03/25 被爆71年 原爆をどう伝えたか 第6部 2 戦争責任と加害(2)「言論の自由」に問題限定 天皇に戦争責任はあるとする長崎市長(当時)、本島等の「異例の発言」に端を発する論争は、1989年1月7日に昭和天皇が逝去し、「平成」の幕が開けると沈静化していった。「昭和が終わったことで、日本人の戦争責任まで忘れてしま […] 2016/03/24 被爆71年 原爆をどう伝えたか 第6部 1 戦争責任と加害(1)「本島発言」で議論沸騰 パーン。乾いた破裂音が長崎市役所玄関ロビーに響いた。1990(平成2)年1月18日、長崎新聞の市政記者、高橋信雄(65)=現特別論説委員=は、市長の本島等のぶら下がり取材をロビーで終え、3階の記者室に戻るためエレベータ […] 2016/02/28 71年目の「被爆」認定 体験者判決の波紋 下 内部被ばく厳しい司法判断 「なぜ」 旧北高戸石村(現長崎市、爆心地から約11キロ)で原爆に遭った矢野ユミ子さん(81)は、22日の被爆体験者2陣訴訟の長崎地裁判決で敗訴。被爆者として認められなかった。 「原爆の後、灰が積もった畑で作られた野菜を食べ、井 […] 2016/02/27 71年目の「被爆」認定 体験者判決の波紋 中 25ミリシーベルト低線量被害に踏み込む 「なぜ25ミリシーベルトでの線引きなのか」。22日の被爆体験者2陣訴訟判決で長崎地裁は、原告161人中、年間積算被ばく線量25ミリシーベルト以上と推定される10人を被爆者と認めた。科学的に未確定な低線量被ばく(100ミ […] 2016/02/26 71年目の「被爆」認定 体験者判決の波紋 上 二重基準 「控訴しないですよね」 「もっとひどい被害を受けた人もいる。まず私たちが被爆者健康手帳をもらうことで、原告のみんなを勇気づけたい」-。23日午前、長崎市役所で被爆体験者訴訟2陣原告らは、三藤義文副市長に訴えた。 長崎原爆に遭った場所が爆心地 […] 2016/02/15 戦後71年 長崎新聞の平和報道 特別編「戦前戦中の紙面」 自由思想の編集局長敗戦予感も書けぬ苦しみ 「戦争責任」公職追放5年 戦後70年にわたる長崎新聞の原爆、平和報道をたどる企画「原爆をどう伝えたか」。その原点と言える長崎原爆投下の第一報は「長崎市に新型爆弾 被害は僅少の見込み」(1945年8月10日付)という事実とかけ離れた内容だった。戦 […] 2016/02/09 ナガサキの視点 ポスト被爆70年 下 継承2世団体 方向性模索 被爆地で継承すべきこととして、被爆体験の記憶、被爆者運動や平和運動の教訓などが挙げられるが、取り組みの方向性は漠然としている。受け継ぐことをめぐり模索する被爆2世を取材した。 後 悔 被爆2世で長崎原爆被災者協議会( […] 前のページへ<1234次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ