ピースサイト 2015年ピースサイト関連企画 2015/07/14 原爆を伝える ナガサキ写真展 1 ファットマン 1945年8月 米軍撮影(米国立公文書館所蔵) 1発の原子爆弾が長崎の街にどのような惨劇をもたらしたのか-。「あの日」から70年目の夏、長崎平和推進協会写真資料調査部会(深堀好敏部会長)は、収集、調査してきた写真の中から約130点を「被爆70年ナガサキ原爆写真展」(2 […] 2015/06/30 戦後70年 ながさき 佐世保大空襲の記憶 6(完) 山本タエさん(95) 当時25歳 主婦 生活奪った焼夷弾 東の空が赤く染まった。 6月28日から日付が変わろうとしたころ。数日前から発熱してぐずる長男を、相生町の自宅の縁側であやしていたときだった。爆発音は聞こえなかったが「演習じゃない。本物だ」とすぐに悟った。慌てて夫を起こし […] 2015/06/27 戦後70年 ながさき 佐世保大空襲の記憶 5 佐世保海軍工廠 藤澤静江さん(85) 当時15歳、学徒動員生 学徒動員で、1944年から佐世保海軍工廠(こうしょう)で働いていた。鉄板を加工して大小さまざまな筒を製造する工場で、電気溶接を担当。これらの筒は魚雷や機雷の部品の一つ。東彼川棚町に出撃拠点があった海軍の特攻艇「震洋(しん […] 2015/06/26 戦後70年 ながさき 佐世保大空襲の記憶 4 佐世保郵便局電話課 岡村スマさん(88) 当時18歳、電話事務員 電話交換台の上には、骨つぼが幾つも並んでいた。中で眠るのは、つい先日まで一緒に働いた同僚たち。「早く家に帰れるといいね」。最後の1人が家族らに引き取られるまでの数カ月間、毎日つぼを見上げてはそっと手を合わせた。 佐世保市 […] 2015/06/25 戦後70年 ながさき 佐世保大空襲の記憶 3 芥川浩一郎さん(81) 当時光園国民学校6年、11歳 にぎわい 跡形もなく ゴウゴウ、ガタガタと外の音が防空壕(ごう)に不気味に響いていた。外からの熱気で壕内は蒸し暑さが増したが、恐怖で震えは止まらなかった。 菓子屋や紙店、化粧品店などずらりと並ぶ佐世保市中心部の商店街。ほとんどが木造だった。ア […] 2015/06/24 戦後70年 ながさき 佐世保大空襲の記憶 2 篠崎年子さん(97)=佐世保市小島町= 当時27歳 教諭 炎に消えた学びや 空はまだ薄暗く、目の前で燃える校舎は「鮮やか」にさえ見えた。 1945年6月29日未明。爆撃が終わり防空壕(ごう)を出ると、すぐそばの勤務先、保立国民学校(佐世保市保立町)は炎に包まれていた。「きっと家も駄目だろう」。2 […] 2015/06/23 戦後70年 ながさき 戦争の残照 旧日本兵の証言 元陸軍上等兵 水谷茂さん(2014年12月、96歳で死去)=長崎市出身= 下 遺骨と復員、そして被爆 「連隊は編成替えしてビルマ(現ミャンマー)に行っている。次にまたどこかへ行くという話もある。(日本に)帰るなら今だ」。川口支隊の水谷茂=当時(24)=は1943年4月、ラバウルで曹長から復員を勧められた。反発したが、「帰 […] 2015/06/23 戦後70年 ながさき 佐世保大空襲の記憶 1 今でも近づけぬ「洞」 死体の山「これが戦争」 トンネルが近づくと、男性は急に立ち止まった。手はかすかに震えていた。 6月20日午後、佐世保市中心部。須佐神社(高梨町)近くにある古びたトンネル「不老洞(ふろうどう)」の前に、元中学教諭の江島麗介(83)=同市春日町=は […] 2015/06/22 戦後70年 ながさき 戦争の残照 旧日本兵の証言 元陸軍上等兵 水谷茂さん(2014年12月、96歳で死去)=長崎市出身= 中 生存 心からうれしく 1941(昭和16)年12月23日午後10時すぎ、川口支隊の水谷茂=当時(23)=が乗った輸送船「香取丸」は、ボルネオ島北部のクチン沖で魚雷攻撃を受け、沈もうとしていた。左足を角材に挟まれた水谷は「こんな所で死んでたまる […] 2015/06/21 戦後70年 ながさき 戦争の残照 旧日本兵の証言 元陸軍上等兵 水谷茂さん(2014年12月、96歳で死去)=長崎市出身= 上 南方へ転戦 よぎる「死」 1941(昭和16)年12月8日。仏領インドシナ(現ベトナム)のカムラン湾に日本軍の潜水艦や駆逐艦、輸送船などが集結した。艦船がずらりと並んだ壮観な光景。第35旅団長の川口清健少将率いる「川口支隊」の一員となった陸軍歩兵 […] 前のページへ<678910次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ