ピースサイト 2015年ピースサイト関連企画 2015/12/11 戦後70年ながさき始まりと終わりの地 サセボ物語 4 宇久島空襲油断していた島民 築74年の民家の壁に残る大きな弾痕。「梁(はり)から壁、障子、窓ガラス、雨戸と一直線に貫通していた。空襲の残骸です」-。この家に暮らす戸田徳重(とくじゅう)(87)=佐世保市宇久町=は話す。1945(昭和20)年7月、 […] 2015/12/10 戦後70年ながさき始まりと終わりの地 サセボ物語 3 暮らし 「勝つまでの辛抱と」 「天を衝(つ)く萬歳(ばんざい)!軍都の戦勝祈願祭」-。開戦から間もない1941(昭和16)年12月13日、長崎日日新聞は佐世保市の祈願祭を報じた。市長や軍関係者、学校長らが出席し、記事には「軍都市民の気概を示した」と […] 2015/12/09 戦後70年ながさき始まりと終わりの地 サセボ物語 2 出撃 「いつ死んでもいい」 1944(昭和19)年8月15日。戦艦「榛名(はるな)」は、当時19歳の水兵長、三浦八百人(やをと)(91)=佐世保市天神町=らを乗せ、佐世保を出港。三浦は詳しい行き先を知らなかったが、激戦地の南方海域へ向かうというこ […] 2015/12/08 戦後70年ながさき始まりと終わりの地 サセボ物語 1 開戦 暗号送信 埋もれる真偽 戦艦「榛名(はるな)」の艦内。当時19歳の三浦八百人(やをと)(91)=佐世保市天神町=は、「必勝」と記した鉢巻きを締め、副砲4番砲の前で構えていた。 「左砲戦、左××度」 「4番よーし」 副砲の尾栓を閉めると目 […] 2015/11/22 被爆70年 年間企画 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第5部「礎」 8(完) 声 「ノーモア」 世界に響く ” 1982(昭和57)年6月、長崎新聞の記者、本田貞勝(70)=長崎市秋月町=は米ニューヨーク行きの機内にいた。同乗の長崎市長(当時)、本島等を見やると背中を丸め、ぶつぶつと英語をつぶやいている。本島は顔を […] 2015/11/21 被爆70年 年間企画 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第5部「礎」 7 世界 被害の実相 発信必要 1万5千人の視線が壇上の1人の老人に注がれた。「被爆者の実情を知らせにきました」。語り始めると、広場は水を打ったように静まり返った。1978(昭和53)年5月27日、米ニューヨーク。国連本部前広場に集まった米国人は、初め […] 2015/11/20 被爆70年 年間企画 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第5部「礎」 6 「むつ」 本質的議論 置き去り 「『むつ』と被爆者は関係ない」-。衆院第1議員会館での記者会見で平然と言い放つ議員の言葉に、梅原紘児(73)=長崎市木鉢町=は耳を疑った。1977(昭和52)年2月、放射能漏れ事故を起こした原子力船「むつ」の佐世保港での […] 2015/11/19 被爆70年 年間企画 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第5部「礎」 5 転機 “金魚売り”から継続へ 長崎新聞の記者、池田文夫(67)=長崎市橋口町=が、長崎原爆被災者協議会(長崎被災協、同市岡町)を訪ねると、事務局長の葉山利行(2005年に75歳で死去)が苦笑いして言った。「また金魚売りね」。夏だけ盛り上がる時節的な原 […] 2015/11/18 被爆70年 年間企画 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第5部「礎」 4 分裂 「なぜ一緒にやれない」 「どうして一緒にやれないのか」-。1964(昭和39)年8月、長崎時事新聞(61年に九州時事新聞から改題、68年に長崎新聞と合併)の記者、嶺川洸(たけし)(79)は、苦々しい思いで原水爆禁止世界大会の長崎大会を見つめてい […] 2015/11/17 被爆70年 年間企画 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第5部「礎」 3 被爆記者(下) 「魂入れず」の医療法 嶺川洸(79)が入社した九州時事新聞は、佐世保市に本社を置くローカル紙。県北メーンとはいえ、毎年8月9日前後は原爆関連の取材も増えた。 1956(昭和31)年の第2回原水爆禁止世界大会以降、被爆者団体の組織化が進み、こう […] 前のページへ<12345次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ