ピースサイト 2015年ピースサイト関連企画 2015/04/03 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第4部「熱」 7 幕開け ため込んだ思いを口に 真夏の暑さ、3千人近い熱気-。超満員の県立長崎東高体育館は蒸し風呂状態だった。場内のあちこちに高さ50センチほどの氷柱が置かれ、扇風機約100台がうなりを上げる。会場に入れない者は外のテントで汗も拭わず、中の音声を伝える […] 2015/04/02 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第4部「熱」 6 記者 認識低く アレルギーも 1956(昭和31)年6月、長崎民友新聞(59年に長崎日日新聞と合併)の長崎市政担当記者だった宮川密義(81)=西彼時津町=は、市立上長崎小横の県立長崎東高を訪ねた。1週間ほど前に第2回原水爆禁止世界大会の長崎開催が正式 […] 2015/04/01 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第4部「熱」 5 第五福竜丸事件 「ひとごとじゃなかった」 1954(昭和29)年春、東京の東大病院の一室。顔面がただれ、ベッドに横たわる男性を前に、連合通信社記者、吉田一人(83)=東京都杉並区=は、言葉をのみ込んだ。他社との合同取材。男性はマグロ漁船の第五福竜丸の乗組員。矢継 […] 2015/03/31 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第4部「熱」 4 うたごえ 精神的渇望 駆り立てる 1953(昭和28)年2月、「平和の蔭(かげ)に」という名の曲が生まれた。物悲しさの中にどこか希望を感じさせるメロディー。「原爆乙女」のために作られた。同月9日付の長崎日日新聞は「原爆のため傷ついた薄幸の原爆娘らが、忘れ […] 2015/03/30 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第4部「熱」 3 若者たち 日陰の中 わずかな青春 「一瞬にして失った青春が、よみがえってこようとする予感」-。渡辺千恵子(1993年64歳で死去)は、長崎原爆乙女の会の増田テル子(85)が初めて訪ねてきたときの心境を、こうつづっている。 渡辺は16歳のとき、学徒動員先の […] 2015/03/29 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第4部「熱」 1 主権回復 報道の自由へ 米国批判や悲惨な被爆体験も 被爆70年・年間企画「原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道」の第4部「熱」は、原爆投下から7~11年後、1952~56年を見つめる。 戦前戦中から占領期にかけて長崎新聞や戦後分離した長崎日日新聞は、国家や連合国軍総司令 […] 2015/03/29 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第4部「熱」 2 乙女の会 心身に傷 何をすれば 「さらされている」抵抗感 原爆投下から8年後の1953(昭和28)年、長崎市役所。市職員で水道料金の計算業務に従事する当時23歳の増田(旧姓・堺屋)テル子(85)=五島市奈留町=は、一つの思いをずっとぬぐえずにいた。 「原爆さえなければ̷ […] 2015/03/21 戦後70年 ながさき 戦争の残照 旧日本兵の証言 元海軍将校 原口静彦さん(93)=南島原市 5(完) 負け戦は秘密にされ 検証し「良い方向に」 海軍大尉となった原口静彦は1945(昭和20)年5月、愛知県の航空隊基地に赴任。第4中隊長として防空戦闘に備えていたが、8月15日、敗戦。前日に重大発表があると聞いていた。冷静に受け止めながら、戦艦武蔵で訓練していたころ […] 2015/03/20 戦後70年 ながさき 戦争の残照 旧日本兵の証言 元海軍将校 原口静彦さん(93)=南島原市 4 同期は特攻 体当たり 航空隊、運命は紙一重 「きっぷがいい男だった」。原口静彦が懐かしむのは、1943(昭和18)年1月に戦艦「武蔵」を離れ、飛行学生の教育訓練を担う霞ケ浦海軍航空隊(茨城県)に赴任した際、同期生となった関行男だ。 関は海軍兵学校も同期で、後にフィ […] 2015/03/19 戦後70年 ながさき 戦争の残照 旧日本兵の証言 元海軍将校 原口静彦さん(93)=南島原市 3 戦艦武蔵の砲術士に “発見”報道 感慨深く 真珠湾攻撃で勝利した日本海軍は、1942(昭和17)年1月からニューギニア島沖・ビスマルク諸島攻略作戦など南方の戦いでも連勝。巡洋艦「筑摩」の航海士、20歳の原口静彦は5月に入り、艤装(ぎそう)中の世界最大級の大和型戦艦 […] 前のページへ<89101112次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ