ピースサイト 2015年ピースサイト関連企画 2015/12/25 戦後70年ながさき 基地とサセボ 8(完) 自衛隊の増強(2010年代)日中緊迫で防衛拠点化 白い砂浜とコバルトブルーの海が広がる五島市三井楽町の高浜海水浴場。顔に緑や黒のペイントを施した迷彩服姿の陸上自衛隊員たちが、ゴムボートなどを使って次々と島に上陸。砂浜は瞬く間に、兵士たちで埋め尽くされた。 10月28 […] 2015/12/23 戦後70年ながさき 基地とサセボ 7 米中枢同時テロ(2000年代)脅威警戒度 最高のD 正門で通行人に目を光らせる米憲兵と県警の機動隊員。基地内に通じるゲートは鉄条網で封鎖された。脅威警戒度は最高ランクの「D」。世界が恐怖したその日、米海軍佐世保基地でも厳戒態勢が敷かれた。 2001年9月11日に起きた […] 2015/12/22 戦後70年ながさき 基地とサセボ 6 米兵による事件(1990年代) 「第二の沖縄にしない」 1996年7月16日未明。佐世保市島瀬町の駐車場で、米兵=当時(20)=が、帰宅途中の女性=当時(20)=にカッターナイフを突き付けた。米兵はのど元を切り裂き、現金が入ったバッグを奪い逃走した。 前年の95年9月、沖 […] 2015/12/19 戦後70年ながさき 基地とサセボ 5 空母ラッシュ(1980年代)市民に無関心漂う ベトナム戦争、70年安保で国内が騒然とする中、佐世保に米原子力空母エンタープライズが初入港したのが1968年1月。それから15年を経て、再びエンプラが佐世保港に入った。83年3月21日のことだ。 当時、米ソ冷戦下で世 […] 2015/12/18 戦後70年ながさき 基地とサセボ 4 米軍基地返還運動(1970年代)市民が団結し実現 佐世保市の島瀬公園が3千人を超える群集で埋め尽くされた。1973年6月23日、米軍が所有していた崎辺地区の即時返還を求める市民大会が開かれた。この日から市民ぐるみの基地返還運動は始まった。 船舶の大型化が進んだ当時、 […] 2015/12/17 戦後70年ながさき 基地とサセボ 3 原潜入港(1960年代)「足の裏」核に直面 1964年11月12日朝。「昭和の黒船」が佐世保港に姿を現した。米原子力潜水艦シードラゴン。市内では寄港反対を訴えるデモ隊と機動隊が衝突し、負傷者や逮捕者が続出。佐世保の街は騒然となった。 米政府から日本に対し、寄港 […] 2015/12/16 戦後70年ながさき 基地とサセボ 2 朝鮮特需(1950年代) 紙幣 木箱にあふれ 1950年6月、朝鮮戦争が勃発し、佐世保は米軍を主力とする連合軍の後方支援基地となった。佐世保市の三ケ町商店街そばの通りに並んだ「外国人バー」のネオンは、朝鮮特需に沸き、輝きを増した。 「昼間から夜遅くまで、通りは米 […] 2015/12/15 戦後70年ながさき 基地とサセボ 1 米軍進駐(1940年代) 廃虚から復興の始まり 無人の街を行く米軍の隊列。岸壁を埋める輸送艦。人々は、物陰から息を潜めてその光景を見詰めていたのだろうか。写真は1945(昭和20)年9月、終戦直後の佐世保で写されたものだ。 旧海軍鎮守府が置かれ、軍港として発展した […] 2015/12/13 戦後70年ながさき始まりと終わりの地 サセボ物語 6(完) 釜墓地古里帰れぬ遺骨 今も 太平洋戦争開戦の暗号を発信したとされる針尾無線塔や米軍住宅に囲まれた佐世保市の針尾島の一角に、旧日本兵たちの遺骨が無数に眠っている。 その場所を「釜墓地」という。 1949(昭和24)年1月9日。小雪が舞う同市の浦頭 […] 2015/12/12 戦後70年ながさき始まりと終わりの地 サセボ物語 5 特攻艇 震洋 「死」の現実味 感じず 「当時、何を信念としていたのか分からない。ただ目の前のことに必死だった」。元震洋部隊員の寺田政俊(90)=佐世保市須佐町=は、重い口を開く。 戦争末期、海軍は戦況の挽回を期して9種の特攻兵器を考案した。4番目の兵器で […] 12345次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ