ピースサイト 2014年ピースサイト関連企画 2014/08/13 祖国への道程 それぞれの引き揚げ 2 前田セツヨさん(89)=雲仙市国見町= 身寄せ合い 満州から脱出 いとこ家族と1年2カ月の苦難 旧満州(現・中国東北部)の地方都市、ハイラル。1945年8月9日早朝、ソ連との国境に近いこの町に爆音が鳴り響いた。長崎に原爆が投下されるこの日、満州へ侵攻してきたソ連軍の空襲だった。「逃げんば」。前田セツヨさん(89)は […] 2014/08/12 祖国への道程 それぞれの引き揚げ 1 朝永栄さん(89) =雲仙市吾妻町= シベリア抑留 仲間ら処刑 厳寒の地で4年、命の尊厳なく 「命が軽いということなんですよ」。丸4年、シベリアに抑留された雲仙市吾妻町の朝永栄さん(89)。寒さで命を落としたり、監視兵に殺されたりする仲間を間近で見た。「よく生き延びた」。感慨を胸に当時の記憶をたぐり寄せた。 19 […] 2014/08/08 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第1部「第一報」 9(完) 黎明 1カ月後 浦上をルポ GHQ検閲再開 4社に分離 社屋が全焼した長崎新聞社は、本部を伊良林の光源寺に据え、再建を目指した。そして終戦-。仮社屋を出島町の旧長崎民友新聞社に置き、1945年9月14日付紙面から自力印刷を再開した。社員は次々に復員し、社は膨れ上がった。 敗戦 […] 2014/08/07 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第1部「第一報」 8 原爆投下から数日後、福岡市の西日本新聞社。「次は長崎新聞」。開始のベルで印刷が始まり、長崎新聞社発送課の14歳、伊東稔(83)は同僚の福田謙次らと構えた。刷り上がった新聞がベルトコンベヤーで流れてくると仕分け、梱包(こん […] 2014/08/06 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第1部「第一報」 7 被害僅少 知事、全容把握せず電報 司令部発表となり紙面に 同盟通信長崎支局の無線設備が置かれていた立山防空壕(ごう)。8月9日午前11時、当時19歳の通信技師、北川正孝(88)=長崎市丸尾町=は、同僚からレシーバーを受け取り、無線設備の前に着席。モールス信号で東京本社の配信記事 […] 2014/08/05 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第1部「第一報」 6 焼失 社屋炎上、輪転機も損壊 編集局長の日記に「痛心」 爆心地から3キロ以上離れた県庁の火災発生は、原爆投下から1時間余り経過した午後0時半ごろ。近くの長崎新聞社も屋上で発火した。当時の同社計理局次長は「屋上に上がってみると紙くずに火がついている。消火はしたもののしばらくする […] 2014/08/04 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第1部「第一報」 5 惨禍 浦上 あらゆる死の形態 幼い弟ら家族5人 一瞬で 長崎新聞社に記事を配信していた同盟通信の記者、中山民也(1994年85歳で死去)は8月9日朝、ソ連が満州との国境を突破したことを長崎市馬町の同長崎支局(爆心地から3キロ)で知った。著書「昭和史の長崎」によると、知事に報告 […] 2014/08/03 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第1部「第一報」 4 9日朝 「お国のため」奉仕隊に 特高 新型爆弾の情報収集 「お国のために働いてくれ。そうすれば死んだ後に靖国(神社)に祭ってもらえるから」-。当時12歳で西浦上国民学校6年の中島喜八郎(81)=長崎市滑石3丁目=は3年時、道ノ尾駅近くにある新聞販売所の老配達員にそう促された。新 […] 2014/08/02 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第1部「第一報」 3 前夜 広島の被害 想像できず 空襲頻発、長崎港に水柱 長崎への米軍の空襲は1945年7月29、31日、8月1日と頻発する。「空襲警報発令!」。敵機来襲を伝える声が響いた。県庁近くの長崎新聞社発送課で働く14歳の伊東稔(83)は、社屋裏手、印刷工場横の倉庫に並んだ新聞巻き取り […] 2014/08/01 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第1部「第一報」 2 閃光 “瞬間死”遺体群 わが子も 1945年8月9日午前11時2分、記者の中尾幸治(64年死去)は、長崎新聞社の編集局で新聞を読んでいた。「敵機1機高度に見ゆ」-。そう聞こえた瞬間、閃光(せんこう)に目がくらみ、吹き飛ばされた。戦時中、同社は長崎市大村町 […] 前のページへ<12345次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ