ピースサイト 2014年ピースサイト関連企画 2014/10/06 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第2部「プレスコード」 5 痕跡 自ら規制 米に“従順” 発行禁止や裁判を恐れ 連合国軍総司令部(GHQ)が検閲していた時期の日本の新聞などを保管する米メリーランド大プランゲ文庫。経年劣化が進む資料類は、保存・活用のためのマイクロフィルム化が進んでいる。 このうち本県関係のフィルムについては、長崎純 […] 2014/10/05 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第2部「プレスコード」 4 現場取材 消えた 生々しい現実 検閲態勢で楽観的紙面に 「被爆者續々(ぞくぞく)と死亡 絶えぬ街の火葬」-。長崎新聞は、原爆の投下から1カ月余りたった1945年9月15日付で爆心直下の浦上の惨状を伝えるルポを掲載した。損壊した浦上天主堂を訪ねた記者は、あちこちで死体を焼く様子 […] 2014/10/05 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第2部「プレスコード」 1 GHQが新たな報道統制 占領円滑化で世論操作 軍国主義宣伝や扇動など検閲 1945年8月15日の終戦により、「長崎新聞」は新聞製作を縛った戦時下の多くの国内法令から解き放たれる。だが、それは連合国軍総司令部(GHQ)の検閲制度で縛られる時代の始まりでもあった。年間企画「原爆をどう伝えたか」第2 […] 2014/10/05 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第2部「プレスコード」 2 1946年8月10日付までの紙面 未解明の放射線被害 「人類道徳をも破壊する科学の猛威」 9月以降、原爆被害の「感情」抑え 原爆投下で壊滅的被害を受けた長崎新聞社は、西日本新聞社との協定に基づく約1カ月間の委託印刷を経て、自力印刷を開始する。1946年8月10日付までの紙面を概観した。 終戦直後は「原子爆彈下の廣島鳥瞰(ちょうかん) 信じ得ぬ […] 2014/10/05 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第2部「プレスコード」 3 検閲文書 米国批判で処分 プランゲ文庫に60万ページ保管 米国の首都ワシントンから地下鉄とシャトルバスを乗り継いで約1時間。メリーランド大の学内に「プランゲ文庫」は存在する。 1945年9月、連合国軍総司令部(GHQ)が占領政策の一環で発令した「プレスコード(新聞遵則=じゅんそ […] 2014/10/04 被爆70年へ 長崎の記憶 写真が語る戦前~戦後 第4部「レンズ越しの復興」 下 街並みと服装に変化 「どんな日本に」期待大きく 道向市昭(70)の父實(2011年95歳で死去)のカメラ歴は60年以上。被爆地長崎で何げない日常にもシャッターを切り続けた。 籠を担ぐ3人の女性の写真は、1956年の撮影。場所は長崎市の眼鏡橋付近。長崎平和推進協会写真資 […] 2014/10/03 被爆70年へ 長崎の記憶 写真が語る戦前~戦後 第4部「レンズ越しの復興」 中 家族でクリスマス祝う 撮影の熱意 父衰えず 道向市昭(70)は、子どものころ、父の實(2011年95歳で死去)から写真を撮られるのが好きだった。今もアルバムをめくれば楽しかった思い出がよみがえる。 長崎市松が枝町の自宅で、クリスマスツリーをバックに8歳の市昭と妹が […] 2014/10/01 被爆70年へ 長崎の記憶 写真が語る戦前~戦後 第4部「レンズ越しの復興」 上 “再生”撮り続けた父 被爆10年後 家並み整い始め 原爆投下から10年後の1955年。長崎のまちは、少しずつ復興に向かっていた。同年冬、雪が降りしきる長崎医科大(現・長崎大医学部)グラウンド。中央右奥には、うっすらと長崎国際文化会館(現・長崎原爆資料館)のシルエットが見え […] 2014/08/15 祖国への道程 それぞれの引き揚げ 4(完) 浅田第一さん(2009年86歳で死去) =西海市西彼町= 飢えと寒さで次々死亡 妻が亡夫の抑留聞き書き 「亡き夫がシベリア抑留について語ったのは1度だけ」。浅田トシ子さん(85)=西海市西彼町=が振り返る。1995年、いつも温厚で優しかった夫第一さん(2009年86歳で死去)は、大粒の涙を流し、拳を震わせて生き地獄のような […] 2014/08/14 祖国への道程 それぞれの引き揚げ 3 勝盛章さん(88) =大村市原口町= 極寒の収容所で重労働 玉音放送も知らされず捕虜に 父が旧満州(現・中国東北部)で働いていた勝盛章さん(88)=大村市原口町=は、奉天(ほうてん)(現・瀋陽(しんよう))で生まれた。1945年春、19歳のとき、泰安(たいあん)(現・山東省)駐留の歩兵部隊「衣4296部隊」 […] 前のページへ<12345次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ