ピースサイト 2014年ピースサイト関連企画 2014/12/23 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第3部 混沌 8(完) 聖者 脚色された自己に当惑 連合国軍総司令部(GHQ)による約2年間の検閲を終えた「長崎の鐘」は、旧日本軍のフィリピン・マニラでの虐殺に関する証言を記録した「マニラの悲劇」を付録にすることを条件に1949年1月出版された。「長崎の鐘」は映画化、舞台 […] 2014/12/22 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第3部 混沌 7 原稿 ジャーナリズムの寵児 1946年2月11日付の長崎新聞は、放射線診療の過程で白血病になり、余命3年と診断されながら献身的に大学の講義や診療を続ける永井隆を写真付きで掲載。長崎新聞が永井を本格的に扱った最初の記事とみられる。 記事で永井は、原爆 […] 2014/12/21 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第3部 混沌 6 占領期から独立まで 住宅難の中「復興祭」 「祭はすんだが…」 秋月氏「何一つ解決していない」 年間企画「原爆をどう伝えたか」第3部「混沌」は、戦後の占領期(~1952年4月28日)の被爆地長崎と報道を見詰めている。 この時期は、まさに激動の時代。原爆投下により、世界では米ソが対立する東西冷戦の幕が上がり、核開発競 […] 2014/12/21 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第3部 混沌 5 永井論争 平和訴え続けた博士の功績 思想と影響力に批判的論評 1945年9月、連合国軍総司令部(GHQ)がプレスコード(新聞遵則)を発令し、占領期の「長崎新聞」(1946年に「長崎日日」「長崎民友」「佐世保時事」「新島原」に分裂)は言論統制下に入った。貧困や原爆症に苦しむ被爆者の実 […] 2014/12/21 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第3部 混沌 4 燔祭 信者、永井の弔辞に涙 原爆投下の惨禍の跡が生々しく残る長崎。1945年11月23日、崩壊した浦上天主堂跡の広場にカトリック信者が集まり、亡くなった約8500人の同志の安息を祈る合同ミサが営まれた。 当時10歳だった被爆者、築地重信(79)=同 […] 2014/12/20 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第3部 混沌 3 傷痕 復興の陰 もがく人々 「米国に怒りが込み上げた」。当時16歳の平澤知二良(85)は、福岡県糸島郡の海軍甲種飛行予科練隊から復員。長崎に帰郷し、福富町(現・幸町付近)の実家が焼けたことを知った。家族を捜しに救護所の新興善国民学校へ。廊下には遺体 […] 2014/12/19 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第3部 混沌 2 落差 見ないようにしたのか 1945年8月20日、当時21歳の花山一太(91)=長崎市桜馬場2丁目=は、北九州の戸畑から長崎に向かう汽車に揺られていた。43年から学徒動員で戸畑の電波探知機隊に所属し、ようやく戦争は終わった。本当は映画の仕事に就きた […] 2014/12/18 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第3部 混沌 1 遺体の街 惨状記事極めて少なく 原爆投下翌日の三菱長崎兵器製作所茂里町工場。爆心地から1・2キロ。当時16歳の福島幸子(85)=長崎市大浦町=は、木切れをはしのように使って焼けた遺骨を丁寧に拾い、小さな箱に詰めていた。時折、引き取りに来る遺族のために。 […] 2014/10/08 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第2部「プレスコード」 7(完) 被爆体験記 恨み再燃 「安寧乱す」 表現を書き換え発行も 「長崎の鐘」「雅子斃(たお)れず(長崎版)」「原子雲の下に生きて」「長崎-二十二人の原爆体験記録」-。米メリーランド大プランゲ文庫は、長崎ゆかりの書籍も保管。4冊に共通するのは個人の被爆体験、そして1949年に発行された […] 2014/10/07 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第2部「プレスコード」 6 民主化教育 メディアを巧みに利用 記者も率先してGHQ取材 「躊躇(ちゅうちょ)せず再建計画へ進め」-。長崎新聞の1948年元日1面のトップは連合国軍総司令部(GHQ)元帥マッカーサーの年頭の辞。その下には長崎軍政府司令官を46年9月から約2年半務めたビクター・デルノアの新年のあ […] 12345次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ