ピースサイト 2012年ピースサイト関連企画 2012/07/27 この場所で 刻まれた原爆の記憶 4 治療を受けた勝山国民学校 中村良治さん(79)=長崎市立岩町= 教室に何体もの死体 生きているだけで感無量 強烈な光が走り、浦上町の自宅に駆け込んだ。爆風とほぼ同時に、がれきの下敷きになった。12歳だった。気が付くと左腕と左足をひどく負傷していた。夜、母や妹と銭座町の救護所へ。手当ての後、銭座国民学校近くの防空壕(ごう)で過ご […] 2012/07/26 この場所で 刻まれた原爆の記憶 3 妹と一緒に泣いた簗橋 下平作江さん(77)=長崎市油木町= 水求め はいずる人々 ただ見つめ 母を呼んだ 10歳の時、友達と油木町の防空壕(ごう)の中で被爆した。何かが光り、吹き飛ばされて記憶が途絶えた。爆心地から約800メートル。気が付くと、壕内に焼けただれた人がたくさんいた。義父が無事を確認しに来てくれたが、再び出て行っ […] 2012/07/25 この場所で 刻まれた原爆の記憶 2 黒い影を見た県立瓊浦中 廣瀬方人さん(82)=長崎市若草町= 生徒が楽しげに走り回っている。長崎市竹の久保町の県立長崎西高。原爆投下後の8月下旬、ここには県立瓊浦中の校舎や体育館が倒壊したまま残っていた。そのがれきの前で大きな黒い球状の影のようなものが揺らいで見えた。約160センチ […] 2012/07/24 この場所で 刻まれた原爆の記憶 1 父を火葬した竹岩橋周辺 山脇佳朗さん(78)=長崎市晴海台町= 「置き去り」悔恨の念 黒く膨れて悲惨な姿 長崎市の浦上川に架かる竹岩橋。付近はビルや陸橋が立ち並び、信号機の明滅に合わせて車や人が行き交っている。ここに立つたびに、あの日の異臭とともに、強い悔恨の思いがよぎる。「何で父を置き去りにしたんだろう」と-。 1945年 […] 2012/03/15 取り残された「被爆者」 体験者訴訟判決を前に 6(完) 「ヒバクシャとは何か」 低線量の評価 福島も注目 「町民の不安解消には、法に基づく恒久的な支援が不可欠」。今月7日、厚生労働省の副大臣室。福島第1原発事故で全町避難となった福島県浪江、双葉両町長は、町民の医療費無料化など「原爆被爆者と同等の援護」を国に要望した。 現在、 […] 2012/03/15 取り残された「被爆者」 体験者訴訟判決を前に 5 見舞状 福島に寄り添いたい 重なり合う放射線不安 2月下旬、被爆体験者訴訟の原告、橋本ユミ子(77)=諫早市八天町=は、手紙をしたためていた。「同じ放射線被害で苦しむ者として寄り添うことができないか」。原告団事務局長、岩永千代子(76)の呼び掛けで、福島第1原発事故の被 […] 2012/03/14 取り残された「被爆者」 体験者訴訟判決を前に 4 黒い雨 広範囲にプルトニウム 未指定地域で最大25ミリシーベルト 被爆体験者訴訟の原告が原子雲の下で浴びたと訴える灰などの放射性降下物。深く記憶に刻まれているのが雨粒に粉じんなどを含んで濁った「黒い雨」だ。 「だんだん空が暗くなってきて太陽が真っ赤になった。すると突然、黒い雨が降ってき […] 2012/03/13 取り残された「被爆者」 体験者訴訟判決を前に 3 フォールアウト 体の何かが変わった 放射性物質にさらされて 爆心地から8・3キロ、長崎市東部の間の瀬地区-。被爆体験者訴訟の原告、鶴武(75)=同市平間町=は当時9歳。友人とセミ捕りをしていた。強い光が走り、熱を帯びた爆風が吹き、木の葉がちぎれ飛んだ。長崎方向に黒い雲が立ち上り、 […] 2012/03/12 取り残された「被爆者」 体験者訴訟判決を前に 2 提訴への道 国に翻弄 裏切られ 制度改変で給付対象縮小 「同じ深堀で原爆に遭うたとに認められんっておかしかよ」。2003年2月、宮上弌子(かずこ)(73)ら西彼深堀村(現長崎市)出身で西彼三和町(同)に暮らす主婦らが声を上げた。 02年に始まった国の被爆体験者支援事業は、年1 […] 2012/03/11 取り残された「被爆者」 体験者訴訟判決を前に 1 未指定地域 川隔てれば手帳なく 「放射線消えるのか、不公平」 「東側に行ったら被爆者で、西側に行ったらそうじゃないなんて…」。長崎市西部を流れる式見川で馬場實(75)=同市四杖町=は憤った。当時9歳。旧西彼式見村時代の1945年8月9日、この川に友人たちといた。「爆弾が […] 前のページへ<1234次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ