ピースサイト 2012年ピースサイト関連企画 2012/08/05 流転 外国人被爆者手帳「1号」 6(完) 今 訴訟参加など検討へ 広島への原爆投下機B-29「エノラ・ゲイ」の機長だったポール・ティベッツが晩年を過ごした米オハイオ州コロンバス。地元では「戦争を終わらせた英雄」として知られる。西に約100キロ離れたデイトンの国立米空軍博物館には、長崎へ […] 2012/08/04 ナガサキの被爆者たち 山口仙二の生き方 1 原点 激痛に「殺してくれ」 姿変わり果て実家へ 桜の便りが届いた3月末、雲仙市のケアハウス。「ようこそ、いらっしゃいました」 かつて「不屈の闘士」と評されたその人は、車いすに座り、好々爺(や)の穏やかな表情を浮かべた。 日本の反核・被爆者運動の顔、山口仙二(81)。9 […] 2012/08/04 流転 外国人被爆者手帳「1号」 5 闘病 次々に居宅変え米国へ 台湾のメディアに「在台湾の被爆者がいれば、支援したい」と呼び掛け、帰国した長崎市の田川萬里(55)の携帯電話が鳴ったのは今年3月。 「広島で被爆した台湾生まれの母がいます。(国賠訴訟に)該当するのではないかと思って」 電 […] 2012/08/03 流転 外国人被爆者手帳「1号」 4 掘り起こし 台湾に援護届かず 長崎市の元小学校教諭、平野伸人(65)は、1980年代から韓国人被爆者と交流し、日本政府が外国人被爆者の援護に動かないと見るや、韓国人による訴訟を支援。日本人と同等の援護実現を目指してきた。 その平野が在台湾被爆者の調査 […] 2012/08/02 流転 外国人被爆者手帳「1号」 3 402号通達 背景に韓国人切り捨て 日本政府の外国人被爆者援護で、一つの節目になったのが1965年の日韓基本条約。過去の植民地被害を法的に清算し、付属の協定で両国間の財産・請求権問題の「解決」を確認した。日本側は、被爆者援護の問題も解決の範囲に含まれると解 […] 2012/08/01 流転 外国人被爆者手帳「1号」 2 来日 "後遺症"の治療求め 広島で原爆に遭った荘來富(そうらいふ)(荘司富子)が体調に異変を感じたのは、1947年2月、台湾に戻ったあとだった。 「左耳が聞こえなくなっていた。下痢や歯茎からの出血、貧血、目まいが続いた。栄養のあるものを食べても痩せ […] 2012/07/31 流転 外国人被爆者手帳「1号」 1 あの日 ドアの下敷きから脱出 7月15日夕、「在台湾被爆者国賠訴訟弁護団」主任弁護士の向山知(33)は、米北東部のオハイオ州コロンバスの空港に降り立った。広大なトウモロコシ畑を抜け、向かった先は閑静な住宅街。1963年10月に被爆者健康手帳を取得した […] 2012/07/31 この場所で 刻まれた原爆の記憶 7(完) 救護活動に当たった早岐駅 口石信さん(84)=佐世保市崎岡町= 手を引くとはがれた皮膚 列車から重傷者運び出す 「建物も石段も、全然変わらない」 佐世保市のJR早岐駅。構内ではJR長崎駅(長崎市)の車両基地移転に伴う工事が始まり、建設中の新しい陸橋がホーム上に姿を現しつつある。しかし、木造の駅舎や正面入り口の階段、待合室などは、重 […] 2012/07/30 この場所で 刻まれた原爆の記憶 6 1000人超を救護した大村海軍病院 奥村虎治さん(78)=諫早市飯盛町後田= 無数の死体 直視できず 敷地内の雑木林に無縁塚 大村の小高い丘に立つ国立病院機構長崎医療センター。前身は大村海軍病院で、敷地の片隅の雑木林には67年前に千人規模の被爆者を救護したことを伝える顕彰碑と、当時の門柱がひっそりと据えられている。「木々の様子には、あのころの面 […] 2012/07/29 この場所で 刻まれた原爆の記憶 5 大勢の負傷者が降りた諫早駅 馬郡秀勝さん(83)=諫早市栄田町= 梅雨明け前のJR諫早駅。ホームには、客がまばらに立っている。「そこです。あの日、1番ホームには被爆者があふれていた」 国鉄職員で16歳だった。諫早駅で客車の掃除や貨車の連結の業務を始めて、3年目の夏。8月9日午後4時すぎ […] 前のページへ<1234次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ