ピースサイト 2012年ピースサイト関連企画 2012/08/15 8月15日 何をしていましたか 下 ラッキー自動車会長 川添一巳さん 佐世保で見た婦人の涙 お国のために命をささげるつもりだった。天皇陛下は神様。日本は神の国だから負けない。軍国教育は徹底していた。敗戦を誰から聞いたかは定かではないが、ショックだった。「鬼畜」の米兵が恐ろしかった。 佐世保市俵町。突き抜けるよう […] 2012/08/14 8月15日 何をしていましたか 中 元参院議員の篠崎年子さん 佐世保でただただ泣いた 1945年6月の佐世保大空襲の後、勤務先の保立国民学校(佐世保市)の焼けた校舎で片付けなどを続けていた。27歳だった。心のどこかで、最後は神風が吹いて守ってくれると信じていた。いい年の大人が、本気で。 あの日もたぶん、朝 […] 2012/08/13 8月15日 何をしていましたか 上 福江商工会議所会頭の才津為夫さん 諫早でラジオにかじりつく 1945年8月15日、勤務先の旧制諫早中の職員室で、教職員たちはラジオにかじりついていた。前日から「15日正午にラジオで重大な放送があるらしい」とうわさになっていた。しかし、雑音が混じってよく聞き取れない。「戦争が終わっ […] 2012/08/09 絶望から希望へ 林京子さんに聞く 下 救いは人間の中にある 脱原発デモに光明 〈原発事故後、絶望に打ちひしがれていた林さん。救ってくれたのは「人間」だった〉 原発事故後の初夏に日傘を差して歩いていたんです。すると交差点で赤い風船が道路にポンポンと出てきました。見ると、お母さんが押している自転車のか […] 2012/08/08 絶望から希望へ 林京子さんに聞く 中 長崎は命を考える「聖地」 ドイツでの出版に救い 〈福島第1原発事故の後、林さんの文学の総決算といえる「長い時間をかけた人間の経験」がドイツで緊急出版された。核兵器と原発を同じ問題としてとらえる姿勢に林さんは感動した〉 原発事故後は本当に絶望していましたから、ドイツの出 […] 2012/08/08 ナガサキの被爆者たち 山口仙二の生き方 5(完) 願い 8月9日を忘れないで 自分の人生「一口では言えない」 長崎県雲仙市のケアハウス。ゆっくりとした時間が流れる中、山口仙二(81)は妻幸子(77)と暮らす。約30年前に建設会社をたたんだ後、五島の有川に居を構えたこともあったが、雲仙岳のふもとについのすみかを得た。2人の娘は家庭 […] 2012/08/07 絶望から希望へ 林京子さんに聞く 上 何も学んでいなかった国 「原発戦争」恐れる 長崎で被爆した作家林京子さん(81)は自らの体験を基に、放射性物質により傷つけられ脅かされる命の問題について書き続けてきた。だが願いむなしく、原発事故はまたも国民に「被ばく」の現実を突きつけた。長崎は被爆地として、「あの […] 2012/08/07 ナガサキの被爆者たち 山口仙二の生き方 4 叫び ノーモア ヒバクシャ 国連で核廃絶の決意示す 1982年6月24日、米ニューヨークの国連本部で開かれた第2回国連軍縮特別総会の本会議場。「私の顔や手をよく見てください。これから生まれてくる世代の子どもたちに私たち被爆者のような核戦争による死と苦しみをたとえ一人たりと […] 2012/08/06 ナガサキの被爆者たち 山口仙二の生き方 3 家族 食卓囲む平凡な日常 原水禁分裂にジレンマも 山口仙二(81)と妻幸子(77)は1957年1月、知人の葬式の手伝いで出会う。「どこかの子どもに毛布を掛けているところを見て、優しい人だなと思いました」。幸子がなれ初めを語る。 幸子は旧満州生まれ。島原半島で10代を過ご […] 2012/08/05 ナガサキの被爆者たち 山口仙二の生き方 2 仲間 苦しみ分かち声上げる 「なぜ国は治療費出さない」 「国が起こした戦争で原爆に遭い、被爆者は苦しみ続けている。なぜ国は治療費を出さないのか。そういう思いからでした」 雲仙市のケアハウスで、山口仙二(81)は58年前の夏を思い返した。 1954年夏、23歳の仙二は国会議事堂 […] 1234次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ