ピースサイト 2010年ピースサイト関連企画 2010/08/22 ハルモニからの伝言 長崎の在日コリアン 1 日本渡航 国も自由も奪われ 「お母さん、生きているうちに帰ってくることができなくて、ごめんね」-。2000年11月、韓国中部・忠清北道の山中。両親の墓の前に立った金今礼(キムクムレ)(84)は言葉にならない思いが込み上げ「ごめんね、ごめんね」と心の […] 2010/08/15 終戦65年 戦争遺児の思い 下 父の面影 求め続け 生き抜いて今、平和願う 「お父さん」-。貧しかった戦中戦後、そして高度経済成長期を生き抜いた戦争遺児たちは、亡き父に今も切なく呼び掛ける。終戦から65年。年齢を重ねた県内の遺児6人に父のこと、戦後の記憶、戦争への思いを聞いた。 「赤紙1枚で父を […] 2010/08/14 終戦65年 戦争遺児の思い 中 石を形見代わりに 「きちんと振り返るべき」 海を見下ろす高台の墓地。末継輝雄さん(70)=長崎市香焼町=は月に数回、町内にあるここを訪れ、戦死した父と女手一つで自分らを育ててくれた母の墓に真新しい花を供えて手を合わせる。 末継さんに父の記憶はない。2歳だった194 […] 2010/08/13 終戦65年 戦争遺児の思い 上 亡き父は帰らず セレベス島で散骨を 太平洋戦争は広大な範囲に及び、子を持つ多くの父親たちが戦地に駆り出された。1945年8月15日、昭和天皇は玉音放送で日本の敗戦を公表。あれから65年。戦争で父を失った子どもたちはどのように生き、何を思うのか。「戦争遺児」 […] 2010/08/13 なにもかもなくした 松尾あつゆきの日記より 6(完) 教え子と孫の思い 読み継がれてほしい 〈生々流転、しなののくにの落ち葉である〉 松尾あつゆきは1948年5月、芹沢とみ子と再婚。「新天地」で心を癒やそうと翌年、本県を離れ、遠く長野県へ移住した。 あつゆき研究者で俳人の竹村あつお(76)は、あつゆきの屋代東高 […] 2010/08/11 なにもかもなくした 松尾あつゆきの日記より 5 死を無にするな! 魂揺さぶる名句生む 松尾あつゆきの鬼気迫る原爆句はいつ、どのように生み出されたのか。日記を追ってみた。 あつゆきは1946年2月20日に42句、3月1日に39句を「層雲」へ投稿している。日記には次の記述が見える。 「層雲復刊につき二月十五日 […] 2010/08/10 なにもかもなくした 松尾あつゆきの日記より 4 ほんとうの淋しさ 「愛なき世」の苦しみ みち子は長崎へ去った。よく雨が降る寒い山村で松尾あつゆきの孤独な暮らしが始まった。日記には「淋(さび)しい」という言葉が頻出するようになる。 「独りくらすのはほんとに淋しい。ことに時計が止まったりしてシーンとなると気が狂 […] 2010/08/09 なにもかもなくした 松尾あつゆきの日記より 3 生きる希望がない 次女の誕生日に慟哭 佐々の山村で、松尾あつゆきと長女みち子の新たな生活が始まった。だが原爆で奪われた妻子のことが忘れられるはずもない。日記には、次のような夢の記述がたびたび出てくる。 「久しぶりに千代子達の夢を見た。演芸会のようなのが催され […] 2010/08/08 被爆地の輪郭 核廃絶の潮流の中で 下 広島と長崎 小異残し大同につこう 米国は1945年8月6日に広島、同9日に長崎に原爆を投下。当時、広島で約14万人、長崎で約7万4千人が殺され、その後も多くが亡くなった。 投下の順番、死者数の違いなどは、両被爆地の関係性にもさまざまな形で影響した。反原爆 […] 2010/08/07 被爆地の輪郭 核廃絶の潮流の中で 中 2020ビジョン 「10年で全廃」に疑問も 「イエス・ウイ・キャン」。ステージで秋葉忠利広島市長はこう唱えた。同市で7月にあった平和市長会議(会長・秋葉市長)主催の「2020核廃絶広島会議」。田上富久長崎市長も一部出席。高揚感も漂う中、核兵器禁止条約の交渉開始や核 […] 前のページへ<12345次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ