ピースサイト 2009年ピースサイト関連企画 2009/08/14 被爆者を乗せて 救援列車の記憶 4 川 棚 救護従事者の口重く 語り部「一人」、継承の危機 東彼川棚町白石郷の高台にある団地近くに、原爆死没者の慰霊碑が立っている。町が1991年建立、毎年8月に慰霊祭を開く。今年も9日にあったが、出席者はわずか10人。強い日差しが照り付ける中、住職の読経が静かに流れた。 「長崎 […] 2009/08/13 被爆者を乗せて 救援列車の記憶 3 松 原 80人を国民学校に収容 女性の車掌がてきぱき指示 長崎市に原爆が落とされた直後のきのこ雲を大村市から撮影した写真が2005年、長崎原爆資料館(長崎市)に寄贈された。その後の調査で、写真は爆心地から大村湾を経て約25キロ離れた大村市北部・松原地区の鹿ノ島から撮られたことが […] 2009/08/12 被爆者を乗せて 救援列車の記憶 2 諫 早 真っ黒の赤ん坊脳裏に 爆心近くまで同乗、救出 1945年、諫早市天満町の木下信夫(82)は当時18歳。国鉄諫早駅で列車の編成作業などに当たる操車係を務めていた。8月9日は非番で同市久山の自宅にいたが、午前11時ごろ空襲警報が鳴り、すぐに外に出て空を見上げた。 ピカッ […] 2009/08/11 被爆者を乗せて 救援列車の記憶 1 早 岐 風化する救護の歴史 知る人少ない墓碑 被爆者を救おうと運行された救援列車。各地で住民らが懸命に救護に当たり、惨状はまぶたに焼き付いた。しかし、当時を知る人が減り、忘れ去られつつある。列車の記憶を掘り起こした。(敬称略) 被爆地長崎と直線距離で約50キロを隔て […] 2009/08/05 閃光に消えた町 私たちは爆心にいた 5(完) 復元 地図に墓標打ち立てる 平和誓い、空白を埋める 1970年春、長崎市松山町の爆心地公園近くの民家に中年男性5人が集まった。被爆時は軍需工場への動員などで自宅のある松山町を離れていたため、難を逃れた元住民たちだった。 声を掛けた内田伯(79)が切り出した。「原爆で悲惨な […] 2009/08/04 閃光に消えた町 私たちは爆心にいた 4 責め苦 「母が身代わりに…」 亡きがらのそば感情なく 余燼(よじん)がくすぶる焦土に、ぼうぜんと立ち尽くした。人の原形をとどめぬ死体が、あちこちに転がっていた。龍智江子(79)は草履の下がひどく熱かったのを覚えている。 日本軍報道班員として長崎に入った山端庸介(故人)が、原 […] 2009/08/03 閃光に消えた町 私たちは爆心にいた 3 光の塊 距離200メートル空気も焼けた 死体の上はいずり逃げる 「私の家はここにあった。近所は池田さんに銭田さん、中村さん。ここは公民館の『岡町倶楽部』。配給所にもなっていた」 長崎市岡町の復元地図に指をはわせていた久間ヒサ子(82)は遠くを見詰めるような目でつぶやいた。「みんな原爆 […] 2009/08/02 閃光に消えた町 私たちは爆心にいた 2 無人の里 火炎の余熱、地面覆う 防空壕で奇跡的に生き残る あの日、朝ご飯はすりつぶしたジャガイモだった。食糧難の中、祖母がよく作ってくれた。当時10歳だった杉田美子(74)は昨日のことのように覚えている。 朝からの空襲警報は解除されていた。「気を付けて遊ばんばよ」。長崎市山里町 […] 2009/08/01 閃光に消えた町 私たちは爆心にいた 1 地図 直前まで息づく営み 刻み込まれた世帯名、商店 長崎市平野町の長崎原爆資料館ホールに、1枚の大きな地図が掛かっている。 松山町の爆心地を真ん中に周囲約300メートルの地域だろうか。「平山」「森」「本多」-。金属板の地図には世帯名が一軒一軒刻み込まれ、銀行や新聞販売店、 […] 2009/07/31 2009語り継ぐナガサキ 核なき世界へ 5(完) 西山進(にしやま・すすむ) 1こまに万感込めて 漫画人生支えた被爆体験 漫画家、西山進(81)=福岡市南区=が描く「1こま漫画」の絵はほのぼのとして温かい。だがその内容は鋭く、厳しい。過去の忌まわしい記憶から生み出される心の叫びなのか。核兵器や戦争を題材にした政治風刺が多く、焦土と化した長崎 […] 前のページへ<12345次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ