ピースサイト 2007年ピースサイト関連企画 2007/08/12 硫黄島からの生還 長崎・最後の証言者 2 西郷に召集令状が届いた。西郷は身重の妻の腹に顔を近づけ、わが子に語りかける。 「おい、聞こえるか。父ちゃんだ。いいか。今から言うことはだれにも言っちゃいけないぞ。いいな」。西郷は妻の手を強く握って言う。 「父ちゃんは生きて帰ってくるからな」 (映画「硫黄島からの手紙」) ◇ ◇ ◇ 一九四四年六月半ば、長崎市の三菱長崎兵器製作所茂里町工場。工務課に勤務していた田川正一郎は昼休み、同僚とキャッチボールをしていた。「田川さん、おうちから電話よ」。女性社員の声にピンと来た。職場の若い男は次々と召集され、空席が目立つようになっていた。 電話の相手は妻の登代子だった。二十五日前に結婚したばかりだ。 深堀さん 硫黄島に出征したときの心情を語る深堀(旧姓・田川)正一郎さん=長崎市内の自宅 「来たか」 「はい、召集令状が来ました」 「入隊日はいつか」 「あしたです」 「どこか」 「久留米の野砲隊です」 すぐに長崎をたたなければ間に合わない。同僚にあいさつを済ませ、橋口町の自宅に戻り荷物をまとめた。田川は二十歳の時、新兵として朝鮮半島の野砲隊に入隊。一年半前に満期除隊で長崎に戻ってきたばかりだった。「戦況は日に日に悪くなっている。今度は生きて帰れないだろう」。覚悟を決めた。 この日は博多の親せき宅に泊まることにした。登代子は一緒についてきた。列車の中で互いの写真を交換した。「何か言うことはないですか」。登代子が尋ねた。「ない」。田川は答えた。翌朝、久留米の部隊へ。軍服に着替え、着ていた服は妻に返した。その中に手紙を潜り込ませた。 「何ニモ思ヒ残スコトナシ。デハ時間ガナイノデコレデ失礼スル」 数日後、行き先を知らされないまま部隊は汽車で移動した。着いたのは横浜。埠頭(ふとう)には輸送艦が数隻接岸していた。乗艦するとき海軍の兵士に聞いた。 「どこに行くのか」 「硫黄島だ」 その島がどこにあるのかさえ知らなかった。 七月十日、出港。艦はすし詰めで、眠るのも座ったまま。米軍の潜水艦の攻撃を避けるようにジグザグ航行した。十四日、硫黄島に上陸した。周囲約二十二キロの小さな島。「こんなところで戦争ができるのか」 砂地をザクザクッと踏みしめて歩いた。突然、島の稜線(りょうせん)から赤や青の光が飛んできた。「歓迎の花火か」。そう思った瞬間、米軍機が上空に現れた。機銃掃射を浴び、とっさにくぼ地に飛び込んで伏せた。兵隊を乗せてきた輸送艦二隻のうち一隻が爆撃された。瞬く間に船は海中に沈み、黒い煙が立ち上った。沈んだ船から命からがら泳いでくる日本兵の姿が見えた。(敬称略) 西郷に召集令状が届いた。西郷は身重の妻の腹に顔を近づけ、わが子に語りかける。 「おい、聞こえるか。父ちゃんだ。いいか。今から言うことはだれにも言っちゃいけないぞ。いいな」。西郷は妻の手を強く握って言う。 「父ちゃんは生きて帰ってくるからな」 (映画「硫黄島からの手紙」) ◇ ◇ ◇ 一九四四年六月半ば、長崎市の三菱長崎兵器製作所茂里町工場。工務課に勤務していた田川正一郎は昼休み、同僚とキャッチボールをしていた。「田川さん、おうちから電話よ」。女性社員の声にピンと来た。職場の若い男は次々と召集され、空席が目立つようになっていた。 電話の相手は妻の登代子だった。二十五日前に結婚したばかりだ。 「来たか」 「はい、召集令状が来ました」 「入隊日はいつか」 「あしたです」 「どこか」 「久留米の野砲隊です」 すぐに長崎をたたなければ間に合わない。同僚にあいさつを済ませ、橋口町の自宅に戻り荷物をまとめた。田川は二十歳の時、新兵として朝鮮半島の野砲隊に入隊。一年半前に満期除隊で長崎に戻ってきたばかりだった。「戦況は日に日に悪くなっている。今度は生きて帰れないだろう」。覚悟を決めた。 この日は博多の親せき宅に泊まることにした。登代子は一緒についてきた。列車の中で互いの写真を交換した。「何か言うことはないですか」。登代子が尋ねた。「ない」。田川は答えた。翌朝、久留米の部隊へ。軍服に着替え、着ていた服は妻に返した。その中に手紙を潜り込ませた。 「何ニモ思ヒ残スコトナシ。デハ時間ガナイノデコレデ失礼スル」 数日後、行き先を知らされないまま部隊は汽車で移動した。着いたのは横浜。埠頭(ふとう)には輸送艦が数隻接岸していた。乗艦するとき海軍の兵士に聞いた。 「どこに行くのか」 「硫黄島だ」 その島がどこにあるのかさえ知らなかった。 七月十日、出港。艦はすし詰めで、眠るのも座ったまま。米軍の潜水艦の攻撃を避けるようにジグザグ航行した。十四日、硫黄島に上陸した。周囲約二十二キロの小さな島。「こんなところで戦争ができるのか」 砂地をザクザクッと踏みしめて歩いた。突然、島の稜線(りょうせん)から赤や青の光が飛んできた。「歓迎の花火か」。そう思った瞬間、米軍機が上空に現れた。機銃掃射を浴び、とっさにくぼ地に飛び込んで伏せた。兵隊を乗せてきた輸送艦二隻のうち一隻が爆撃された。瞬く間に船は海中に沈み、黒い煙が立ち上った。沈んだ船から命からがら泳いでくる日本兵の姿が見えた。(敬称略) 硫黄島に出征したときの心情を語る深堀(旧姓・田川)正一郎さん=長崎市内の自宅 2007/08/11 硫黄島からの生還 長崎・最後の証言者 1 運 命 自決阻んだ上官の言葉 昨秋から今春にかけ公開された二本の米映画「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」により、硫黄島の戦いはにわかに脚光を浴びた。二万人を超える日本兵が戦死したこの島に、本県からも五百五十五人が出征し、十四人が死線をくぐり抜 […] 2007/08/06 伝えたい =戦後世代の「被爆」継承= 5(完) 署名活動の力信じる 若者が広げる共感の輪 「被爆地からの声は、被災地にとって大きな励みになります」。七月二十一日、長崎市中心街の浜市アーケード。高校生一万人署名活動実行委のメンバーは行き交う人々に大声で呼び掛けた。 首から下げているのは、いつもの署名用紙ではなく […] 2007/08/05 寄 稿 =原爆は戦争を終わらせたか= 下 現代史研究家 鳥居 民氏 「言い訳」つくった米政権 長崎に原爆が投下されてから六十二年がたとうとしている。この長い年月のあいだ、私たちは原爆投下に絡んで、数多くの考究を読み、主張や解説を耳にしてきている。 だが、それらの叙述は嘘(うそ)と誤解であふれている。最近問題になっ […] 2007/08/05 伝えたい =戦後世代の「被爆」継承= 4 平和活動特別ではない 固定観念打破した高校生 一九九八年五月、インド、パキスタンが核実験を強行。市民団体でつくる「ながさき平和大集会実行委」は、被爆地長崎から核拡散反対の声を国連に届けようと、若者から代表選抜する試みを始めた。高校生平和大使はこうして誕生した。 これ […] 2007/08/04 寄 稿 =原爆は戦争を終わらせたか= 中 元長崎大学長 土山秀夫氏 “神話”信じる米国民 戦争の終結が何によってもたらされたかと問われて、ただ一つの理由だけで説明できる場合はむしろ例外に近いだろう。原爆投下によって戦争を終わらせたと思うか、との設問に対しても同じことが言える。 筆者は一九九五年の夏、米国のスミ […] 2007/08/04 伝えたい =戦後世代の「被爆」継承= 3 平和運動の転換点に 実相の訴え期待高まる 被爆体験を次世代に伝えてきた被爆者は高齢化の一途。今後、誰が被爆の実相を伝えるのか。 戦後、被爆者は自ら平和活動を担ってきた。一九九五年の被爆五十年を過ぎて始まったのが高校生平和大使。六十年を機に生まれたのが平和案内人。 […] 2007/08/03 寄 稿 =原爆は戦争を終わらせたか= 上 作家 保阪正康氏 史実誤った久間発言 被爆地長崎は今夏、日米両政府の閣僚らの発言に大きく揺れた。太平洋戦争での米国の原爆投下について久間章生前防衛相は「しょうがない」と発言。被爆者の激しい怒りが収まらないうちに今度は米国のロバート・ジョゼフ核不拡散問題担当特 […] 2007/08/03 伝えたい =戦後世代の「被爆」継承= 2 被爆体験聞き思い共有 朗読など新たな活動も 「私たちが線路を敷けば、あとは走ってくれる」。長崎平和推進協会の継承部会員で被爆体験の語り部、渡邉司さん(75)は四月、平和案内人に被爆者の思いを受け継いでもらおうと、継承部会員と平和案内人の計約十五人で「朗読グループ」 […] 2007/08/02 伝えたい =戦後世代の「被爆」継承= 1 質高め「知識」でつなぐ 修学旅行生に惨状想像させ 長崎市の被爆者の平均年齢は七十四歳。原爆の実相を伝え、核兵器廃絶を訴えてきた中心的存在の高齢化が言われて久しい。そうした中で、被爆遺構などのガイド役の「平和案内人」、長崎の声を国連に届け続け、活動十年目を迎えた「高校生平 […] 前のページへ<123次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ