ピースサイト 2006年ピースサイト関連企画 2006/07/15 被爆61年 語り部の思い 4 城臺美彌子さん(67)=長崎市三川町 さらに次世代へ伝承を 「自分の被爆体験だけで継承はできない。『その時おらんで良かった』で終わる。今の子どもが次世代に伝えられるようにしなければ」。その思いが根底にあるから、子どもたちに話すとき工夫を凝らす。 七月六日、長崎市立女の都小体育館。 […] 2006/07/14 被爆61年 語り部の思い 3 山脇佳朗さん(72)=長崎市女の都3丁目 真剣に聞き入る姿に感動 語り部になるつもりなどなかった。「写真や映像などメディアが豊富な今、わざわざ被爆者をひっぱり出して、思い出したくないことを話させる必要はない」。家族にも、悲惨な体験を語ったことはなかった。 十一歳の時、爆心地から二・二キ […] 2006/07/13 被爆61年 語り部の思い 2 小峰秀孝さん(65)=長崎市さくらの里 「今、戦争と戦争のはざま」 「生きたネコを縛り川に投げ込む。捕まえたヘビは形が分からないぐらいまですりつぶす。虐待行為に快感すら覚えた」 七月三日、長崎市岩屋町、市立岩屋中の体育館。全校生徒六百十七人を前に、衝撃の告白を繰り返した。予定された一時間 […] 2006/07/12 被爆61年 語り部の思い 1 吉山秀子さん(83)=長崎市桶屋町 彼女の顔は焼けただれ 「きれいな顔が、原爆のせいで誰なのか分からないぐらい無残な顔になって死んでいく。みなさん、こんな死に方をしたいですか」 自らの体験と被爆後の状況を、写真も使って修学旅行生や県内の小、中学生に伝えている。その活動も二十八年 […] 2006/04/30 長崎原爆資料館10年 =歩みとこれから= 5(完) 使 命 被爆者の思い 継承を 「これが(原爆投下時刻の)十一時二分で止まった時計です」―。長崎原爆資料館の常設展示室で「平和案内人」が口を開くと、団体客は食い入るように時計を見詰めた。 案内人は長崎平和推進協会が育成、被爆六十周年の昨年四月から活動を […] 2006/04/29 長崎原爆資料館10年 =歩みとこれから= 4 機能充実 問われる専門性強化 公の施設に民間の管理、運営手法を取り入れる指定管理者制度がこの春、長崎市でスタートした。市公会堂など百二十五施設が指定管理者に移行したが、長崎原爆資料館(長崎市平野町)は直営での運営を選択した。 「世界で二つの原爆資料館 […] 2006/04/28 長崎原爆資料館10年 =歩みとこれから= 3 被爆資料 次世代へどう伝える 「学校を休ませてください」―。島原市内の小学校教諭(50)は、児童の保護者の言葉に耳を疑った。四年生の社会科見学で、長崎原爆資料館(長崎市平野町)を訪れた翌朝のことだった。 「『被爆資料を見て、怖い夢を見た』という理由で […] 2006/04/27 長崎原爆資料館10年 =歩みとこれから= 2 加害と被害 展示内容めぐり論争 「あまりにもむごすぎる」―。今月中旬、アン・マグレッタさん(65)=ノルウェー・オスロ=は目を真っ赤にして、長崎原爆資料館(長崎市平野町)のロビーに立っていた。 「この資料館を見るために長崎に来た。(原爆を投下した)米国 […] 2006/04/26 長崎原爆資料館10年 =歩みとこれから= 1 存在意義 「ここに事実がある」 核兵器廃絶を訴える被爆地長崎のシンボル的な施設「長崎原爆資料館」(長崎市平野町)が、開館から十年を迎えた。旧長崎国際文化会館時代と合わせ半世紀の間、原爆の実相を資料や写真、証言を通して伝えてきた。被爆者の高齢化による体験 […] 前のページへ<1234 ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ