ピースサイト 2005年ピースサイト関連企画 2005/08/15 還暦の8・15 下 川原征一郎さん (長崎市出身の被爆者) 「戦死」の父へ涙の手紙 『今、お父さんの若いころの写真を見ながら、髪の生え際から、何から何まで私にそっくりなのに驚いています』。長崎市出身の被爆者で元天草水族館長、川原征一郎さん(63)=熊本県本渡市=が、ビルマ(現ミャンマー)で戦死したと聞か […] 2005/08/14 還暦の8・15 中 宮内雪夫会長 (佐世保戦没者釜墓地護持会) 遺族捜し、終わらぬ戦後 「ここに眠る人は家に帰れず、家族にも会えなかった。戦後の実感もないだろう。遺族捜しが続く限り戦後は終わらない」。佐世保戦没者釜墓地護持会の宮内雪夫会長(72)はこう語る。 佐世保市の針尾島。ハウステンボスと米軍針尾住宅の […] 2005/08/13 還暦の8・15 上 本島等 元長崎市長 「日本はどんどん右傾化」 中国や韓国で日本の歴史認識を批判する行動が相次ぎ、本県など九州の自衛隊員もイラクへ派遣された戦後六十年。今も「戦争」と向き合う人を追った。 「戦争が終わったとき、みんな『これで世界平和は達せられる。平和を乱す国は出てこな […] 2005/08/09 戦争の記憶 8 愛野の「悲劇」 児童14人が犠牲に 「けがをした子が何人もいて、横ではおなかにガーゼを詰め込まれた男の子が『痛かー、痛かー』と泣いていた。翌朝には亡くなっていた」 一九四五(昭和二十)年七月三十日。愛野村国民学校(現南高愛野町立愛野小)近くに落とされた爆弾 […] 2005/08/07 あの日ここから =60年目の被爆者= 5(完) 山口 彊さん(89) =長崎市布巻町= 二重被爆 「それでも生きている」 顔と両腕を包帯でぐるぐる巻きにして出張先の広島から戻った姿に、造船所の同僚たちは目を丸くした。 「ものすごい熱と爆風で、建物は残らず倒れて焼けた」「人がそこら中で死んでいる」「窓は開けておいた方がいい、ガラスが割れて飛ん […] 2005/08/06 あの日ここから =60年目の被爆者= 4 吉田孝子さん(78) =長崎市魚の町= 浦上天主堂 「父ちゃん、この指、見つけて」 「父ちゃん、この指、見つけて」 爆風で倒れた家の下敷きになり、助け出された時は夕方だった。 沈みかけた赤い太陽が美しい。 夕日に映える浦上天主堂の赤れんがを見ようと目を向けた。だが、あるはずの場所にその威容はない。 五、 […] 2005/08/05 あの日ここから =60年目の被爆者= 3 出口輝夫さん(69) =長崎市かき道4丁目= 本原の高台 畑は焼け、炎上げる市街地 爆心地から北に一・四キロ。当時住んでいた長崎市扇町(当時は同市本原一丁目)の高台を歩く。終戦後は別の土地に移り、あいさつか何かで一度訪れたきりだ。 「あのころのままかもしれない」。古びた石垣を触りながら、遠い記憶をたどる […] 2005/08/04 あの日ここから =60年目の被爆者= 2 岩松博泰さん(73) =長崎市女の都3丁目= 浦上川の燃える橋 「進めない」押し寄せるけが人 「線路は大丈夫か」 「おい、行くぞ」 区長の声を合図に作業用のモーターカーで飛び出した。長与駅の構内で突如閃光(せんこう)を浴び、首に巻いたタオルと帽子が爆風で飛ばされてから、一時間もたっていなかった。保線区員として、空 […] 2005/08/04 ふるさと長崎へ =「8・9」私の思い= 4(完) 被爆作家(長崎市出身) 林 京子さん(74) 「核と人間」問い続ける ―被爆を語る難しさをどう実感しているか。 先日、小学生を対象に話した時、「八月九日」を話す前に学徒動員などその時代に使われた言葉や時代背景の説明からしなければならず、ギャップを感じた。ただ、講演や著書に対する感想文を読む […] 2005/08/03 あの日ここから =60年目の被爆者= 1 濱崎 梢さん(71) =長崎市若竹町= 佐世保海軍病院諫早分院 「お譲ちゃん 水ばくれんね」 焼けただれた皮膚、飛び出した眼球、男性か女性か分からない。 負傷者の群れはあっという間に病室を埋め、すぐに廊下へ、広場へとあふれ出した。 泣きたいくらい怖かった。 佐世保海軍病院諫早分院(現在の諫早総合病院=諫早市=の一 […] 前のページへ<12345次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ