ピースサイト 2005年ピースサイト関連企画 2005/01/08 思い新たに =“節目の年”を語る= 6(完) 長崎原爆遺族会 下平作江さん 平和のため実相訴え 「閃光(せんこう)とともに気を失い、防空壕(ごう)の中で目を覚ますと、目や内臓が飛び出た人たちが『助けてください』と叫んでいた。悲痛な声がいつしか消えて、死臭が漂い始めた。六十年たつというのに、あのときの恐怖は一日たりと […] 2005/01/07 思い新たに =“節目の年”を語る= 5 高校生1万人署名活動実行委 藤本絵梨華さん 語り合えば通じる 五年前にスタートした「高校生一万人署名活動」の初代メンバー。被爆六十周年の今年、後輩たちは過去最高の六万人分を目標に掲げた。 「初めて聞いたとき、『えっ』て思った。びっくりして、ソッコー(すぐに)反対した。これまでの最高 […] 2005/01/06 思い新たに =“節目の年”を語る= 4 長崎県九条の会 前原清隆さん 平和憲法は正念場 平和憲法を守ろう―。井上ひさし氏、大江健三郎氏、澤地久枝氏ら中央の文化人七人が呼び掛けた「九条の会」に呼応し、昨年十月に「県九条の会」を発足させた。呼び掛け人には、郷土史家や宗教家、医師、被爆者などさまざまな分野の二十五 […] 2005/01/05 思い新たに =“節目の年”を語る= 3 ナガサキピースミュージアム 増川雅一さん 平和とは“笑顔” 「どこに行っても笑顔で満ちあふれている世界。これが平和そのものだと思うし、そのための活動に燃えてますよ」 戦争反対と言わずに、平和を語ることができないか―。一昨年春、長崎市松が枝町の一角に開館したナガサキピースミュージア […] 2005/01/04 思い新たに =“節目の年”を語る= 2 「長崎の証言の会」 鎌田信子さん 終わりなき活動 原爆が投下された一九四五年八月九日、疎開先の静岡県三島にいた。三年後、家族とともに長崎に移り住んだ。被爆者ではない。 原水爆禁止運動は、五四年の米国のビキニ水爆実験を契機に高まりを見せ、長崎でも被爆者が自由を奪われた身体 […] 2005/01/03 思い新たに =“節目の年”を語る= 1 芥川賞作家 青来有一さん 二世の使命感で 戦後六十年、被爆六十年の”節目の年”が明けた。今年、「ナガサキ」で何を描き、何を語り継ぎ、何を訴えるか―。被爆地でさまざまな活動に携わる六人に、新しい年への思いや決意を聞く。 「毎朝、職場へ通う道が『あの日』には焼け野原 […] 前のページへ<678910 ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ