ピースサイト 2004年ピースサイト関連企画 2004/10/21 かけ離れた思い =在韓被爆者援護の今= 上 期 待 日本語で感謝の言葉 県と長崎市は十月上旬、被爆者医療に詳しい医師七人を韓国中部の大田、平澤両市に派遣、在韓被爆者の健康相談を実施した。国の在外被爆者支援事業の一環で、七月の陜川に続き二回目。国外からの健康管理手当申請を認める司法判断が下され […] 2004/08/15 不戦の誓い =私の太平洋戦争= 5(完) 60年目に知った真実 兄がマラッカ海峡で戦死した 本岡文子さん 今年は生涯忘れられない夏になった。兄(向井栄さん=享年二十六歳)の戦死から六十年目、初めてその死の真実を知ったからだ。 「昭和十九(一九四四)年七月二十二日未明、南方洋上で戦死」 横須賀海兵隊に所属していた兄の死は、家族 […] 2004/08/14 不戦の誓い =私の太平洋戦争= 4 空襲で散った若い命 第21海軍航空廠殉職者慰霊塔奉賛会長 神近義光さん 戦時中、最大時で約百八十万平方メートルの敷地に約五万人が働き、東洋一と言われた航空機工場「第二一海軍航空廠(しょう)」が大村にあった。多くの若者が青春をささげて働き、亡くなっていった歴史は、地元からも忘れ去られようとして […] 2004/08/13 不戦の誓い =私の太平洋戦争= 3 個人の幸せ、尊厳奪われ 佐世保空襲犠牲者遺族会理事 下野孝子さん 一九四五(昭和二十)年六月二十八日午後十一時五十分すぎ、百四十一機ものB29爆撃機が市街地を襲った佐世保空襲。当時、十一歳。須佐町の高台に家族八人で暮らしていた。 「起きなさい」。母の叫び声で跳び起きると街は火の海。旧日 […] 2004/08/12 不戦の誓い =私の太平洋戦争= 2 無差別殺りくに怒り 元近衛兵で東京空襲を体験 伊藤俊一さん 一九四二(昭和十七)年一月から終戦まで、皇居の警護や天皇の護衛に当たる近衛師団に所属した。この約四年間は東京空襲とも重なり、その悲惨な記憶が今でも鮮明に残っている。 東京都新宿区戸山の近衛騎兵連隊本部に入隊。近衛兵は全国 […] 2004/08/11 不戦の誓い =私の太平洋戦争= 1 平和訴えることが使命 ラバウル潜水艦部隊の生還者 小橋川時雄さん 太平洋戦争終結から五十九年目の夏。二十一世紀となった今も、悲惨な戦争体験を背負い、さまざまな思いを抱きながら生きる人たちがいる。そんな戦争体験者の声、心の叫びに耳をすませ、「不戦の誓い」を伝える。 生かされた命をどうした […] 2004/08/08 被爆資料は語る -65年目の夏- 7(完) やすり 見てほしい 少女が生きた証し 長谷崎シゲさん(81)=長崎市坂本二丁目=は純心高等女学校に通っていた、いとこの川上トミさん=当時十五、六歳=を原爆で殺された。長谷崎さんを「お姉ちゃん」と慕う、おかっぱ頭のかわいい子。学徒動員先の三菱兵器大橋工場(爆心 […] 2004/08/07 被爆資料は語る -64年目の夏- 6 一円銀貨 惨状、姉妹の顔よみがえる 高熱で溶け、ひとかたまりになった三枚の一円銀貨。「戦争の悲惨さを伝えたい」と、松友雅夫さん(76)=長崎市竹の久保町=が一九九〇年二月、寄贈した。 原爆が落とされた二日後、自宅の焼け跡で見つけた。父親の敏雄さん=当時(5 […] 2004/08/07 非核の時代へ =伊藤市政の軌跡= 7 市長インタビュー 心強い市民の”行動力” <被爆地の顔、長崎市長として迎える十回目の長崎原爆の日が二日後に迫った> ―就任からの歩みを振り返ってほしい。 最初の年が被爆五十周年の節目だった。自分は、戦争や原爆を知らない最初の世代だが、就任一年目の秋、国際司法裁判 […] 2004/08/06 被爆資料は語る -63年目の夏- 5 革バンド 悲惨な体験「伝える価値」 「両肩から左右に交差してぶら下げた布製かばんと水筒のひもがぶらつかないよう腰に巻いた革バンドで締め、やけど対策の厚手の服と戦闘帽を着用し、決死の勇を奮って出掛けた」 八木改造さん(80)=長崎市滑石三丁目=は原爆投下翌日 […] 前のページへ<12345次のページへ> ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ