ピースサイト 2002年ピースサイト関連企画 2002/06/26 核軍縮の危機 =米国へ届け長崎の声= 2 暗 転 逆行続けるブッシュ政権 現状の国際安全保障の基軸といえる核拡散防止条約(NPT)は、核保有国にその“地位”を与える代わりに、地下核爆発実験をやめさせる包括的核実験禁止条約(CTBT)を生み出した。 このCTBTを米国が葬り去ろうとしているのが露 […] 2002/06/25 核軍縮の危機 =米国へ届け長崎の声= 1 廃墟 テロ契機 高まる愛国心 核軍縮が危機にひんしている。米国は包括的核実験禁止条約(CTBT)や戦略兵器削減条約(START)といった二十世紀に世界が積み上げた核軍縮の枠組みを否定し、力を背景として強引に行動する一国主義に踏み出した。被爆地から核兵 […] 2002/03/02 非核不戦に生きて =鎌田定夫が残したもの= 下 継承誓う同志たち 証言運動、教育、核廃絶… 「いま出口を求めて苦闘し続ける若い世代に呼びかける。(中略)進んで苦難を引き受け、子どもと父母、仲間とともに知恵を絞り、心を通わせ、団結を固めながら、人類史上まれなこの試練に耐え、そこから勝利と希望を紡ぎだそう。『受苦に […] 2002/03/01 非核不戦に生きて =鎌田定夫が残したもの= 中 「原爆とは何か」問い詰め 海外の被爆者調査先頭に 国際電話で鎌田定夫の死を知った韓国大邱市の被爆者、金分順(74)は、電話口で泣き崩れた。「誰も自分たちに目もくれなかった時代に、鎌田さんだけは来てくれた…」 電話の主は、全国被爆二世団体連絡協議会会長の平野伸人(55)だ […] 2002/02/28 非核不戦に生きて =鎌田定夫が残したもの= 上 幾万の死者のおん念感じ “沈黙”破り市民運動に 被爆者の実態調査や証言を通じて反核・平和運動に取り組んでいる長崎の証言の会(事務局・長崎市目覚町)。一九六九年、秋月辰一郎・前長崎平和推進協会理事長らとともに、会の設立(当時は「長崎の証言」刊行委員会)に携わった中心メン […] 前のページへ<12345 ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ